2023.09.17
週末は創作活動に関する記事を書くようにしています。今日は三連休の中日に当たりますが、教職を退職した自分にとっては三連休の有難味はありません。平日も週末もなく陶彫制作を続けています。今日も陶土を彫り込みながら、創作活動とは何だろうと自分に問いかけていました。私は20歳の頃に彫刻の魅力に憑かれて、40年以上も彫刻に関わってきています。自分のことながら余程の物好きと思いますが、生活も成り立たない世界でかなりの労力を使って彫刻という課題を抱え込むのは、物好きを通り越しているのかもしれません。教職だけでも充分多忙で骨が折れましたが、それだけでは満足が出来なかったのは事実です。それでは自分にとって創作活動とは何か、いつ辞めても誰も文句を言われないもので、そこが教職とは大きな違いです。教職に疲れ切った時は創作活動の細い糸が切れそうな時も度々ありました。教職だって自分の思い通りにならず、自分の不甲斐なさを嘆くこともありました。自分は自分が思うほど力がないと自覚したのにも関わらず、週末になれば気分転換を図り、創作活動に期待を持って取り組んでいました。そこでも期待通りにならない時は、自己肯定感をどう保ったら良いのか、悩む毎日もありました。ただし、教職は組織があって、頼りになる仲間がいました。そこが救われる要素だなぁと感じていて、たった一人で思い悩む創作活動とは違っていました。結局、自分にとって厄介だったのは他者に頼れない創作活動だったのかもしれず、また誰に遠慮することなく辞めてしまえる活動でもありました。それでも細い糸を手繰り寄せるように続けてきたのは、自分だけの世界観を培いたいという願いだけでした。空間芸術はそれほど魔性的な魅力があったと今も思っています。それは強烈な自己満足です。その頃になると、教職はあくまでも他者のため、創作活動は自分のためにやっていると割り切っていました。つまり教職公務員には退職というシステムがあり、創作活動は自分で辞めない限り生涯をかけて続いていけるという割り切り方です。最終的には創作活動しか私には残らないと自覚した瞬間から、細い糸が徐々に太くなって紐になっていきました。