Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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新聞記事より「海を買いたい」
今日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「わたしはただではいやなのです。わたしは海をお金で『買いたい』のです。寺山修司」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「詩人・演劇家の詩・物語集『さみしいときは青青青青青青青』から。ある娼婦が老いて少しのお金も貯まり、海を買いに行きたいと思う。むろん叶うはずもなく、『わたしはこんなに買われてきたのに、どうして海ぐらい買うことができないのだろうか』と嘆く。海の水が人々の涙の集積だとしたら、自分の涙がどこかへ紛れ込む前に海を買っておかねばならないと思ったか。」私は学生時代に寺山修司の詩、戯曲、随筆などを読み耽り、彼が主催していた演劇実験室「天井桟敷」もよく観に行っていました。その頃の「天井桟敷館」は渋谷駅近くの街道沿いにあって、奇抜な装飾を纏った建物が異様に目立っていました。今日の新聞記事が目に留まったのも、昨日訪れた東京オペラシティアートギャラリーで開催していた「宇野亜喜良展」に関連があったからです。というのも寺山作品のポスターや装丁、挿絵などを宇野亜喜良氏が数多く手がけていて、ヴィジュアルな点からも寺山作品が理解できて、私にとっては20代の頃を思い出す契機になっていました。寺山ワールドは、北方の土着性があり、超現実的な世界観があるという感想を私は持っています。寺山修司が青森県の出身であり、寒く暗い情緒が漂う詩や和歌が、青春真っただ中の私のノスタルジーを誘っていたこともありました。演劇の世界では新しいことを試していて、哀しい情緒と革新的な理論の絡みが、何とも当時の私にとっては魅力的でした。涙の集積が海になったという発想も寺山ワールドらしくて、私は忘れていたものを思い出した感覚があります。ニーチェの言うディオニソス的なものが満載していた世界に溺れそうになった私は、大学に行けば彫刻を作っており、そこにはディオニソス的なものに対峙するアポロン的なものがあり、微妙なバランスを保っていたのではないかと振り返っています。彫刻を作り続けている私が、寺山ワールドに惹かれるのはそうしたバランスのせいかもしれません。