Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「シュルレアリスムのために」読後感
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)を読み終えました。本書に掲載された評論は1930年から1940年の間に発表されたもので、第二次大戦前から大戦に至るまでの、社会的には緊迫した激動期に当たります。戦争に向かうキナ臭い世相の中で、よくぞシュルレアリスムについて書けたものだなぁと思っています。日本が強いた軍国主義は多様な価値観は認めず、美術作品は戦意高揚のために使われました。同じようにナチスドイツも革新的な表現に対し、退廃美術の烙印を押したのは余りに有名です。著者も案の定、警察に検挙される憂き目に遭っています。それでもシュルレアリスムの運動を信じて疑わなかったのは筋金入りの信念があったからでしょう。本書最後の覚書にこんな文章がありました。「当時の私にしても、芸術運動としては画壇の一角から起こりうる可能性をつよく感じていたし、事実、太平洋戦争の前夜にかけての数年間、若い画家たちの動きは活発をきわめた。しかし、いま読み返してみて、私の書いたものにそれほど具体的に反映していないようである。もちろん今日と比較すれば、それはジャーナリズム圏外の動きであり、文章による反映は小さなパンフレットか機関誌に限られていたのであり、それ以上に、時代はつるべ落としに暗さを増し、発言の機会は抑えられつつあった。若ものたちは相ついで召集され、その多くは帰ってこなかった。本書について言えば、『ホアン・ミロ』を書き、『シュルレアリスム十年の記』を書いた翌年の1941年の春まだ寒いころ、私は検挙されるにいたる。しかし私自身はすでにシュルレアリスムへの熱中期から十年のあいだに『シュルレアリスムは、いま日本の夜の中へ、溶解の一途を辿っているかも知れぬ。それは超現実がひとつの純粋性に達する一形式でもあるからだ…』といった、捨てぜりふともとれるような言葉でしか本音を吐けなかったところまで落ちてしまう。」著者は戦後になっても一貫した姿勢でシュルレアリスムの思想を広めていったことは、後世に生きる私にとって、大変ありがたい存在だったと思っています。