2024.06.17
昨日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「見た人全員が『泣けた!』としか言わないようなものを、そもそも表現としてやる必要があるのか。松重豊」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「ロックか、ロックでないか。恥ずかしながらこれを、仕事を択ぶ基準にしていると俳優は言う。心身ともに贅肉を削ぎ落していること、それが自分の考えるロック。世界の趨勢に対し、その不可解さから眼を逸らさず、これってなんかおかしくない?と言い続けることだと。本紙6月8日朝刊でのインタビュー『ロックじゃねぇ!』から。」俳優松重豊氏は人気テレビ番組「孤独のグルメ」で主人公を演じ、一人でレストランに入り、食事を堪能するのを、視聴者は時に面白く、時に癒されながら見ています。私もその一人で、心身ともに贅肉を削ぎ落している自然な演技に見入ってしまいます。本人が言うロックとは、ロック・ミュージックから派生した広範囲な意味を指すようで、何となく感覚的な響きがあります。人が何かを表現するのは多面的で多角的であり、その豊かな側面があると同時に、求めていく先はシンプルです。それは雑然とした外野が発する声の不可解さに蓋をすることではなく、自分の信じる方向に向かって突き進んでいくことだと私は考えます。少なくても私はそうしたいと主張することが松重流ロックなのだろうと思います。松重氏は音楽が好きなようで、私がよく聴いているロッカー甲本ヒロトとはバイト仲間だったとどこかの番組で言っていました。成程、松重氏はああいう音楽が好きなのかと思いつつ、今晩も私はRECORDを食卓で作りながら、ザ・ブルーハーツの甲本ヒロトの絞り出すような歌声を聴いています。その歌の詞にも不可解さから眼を逸らさず、これってなんかおかしくない?と言い続けていることが示されています。ロックを基準にしているのはそういうことかなぁと思っています。