Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「瀧口修造 沈黙する球体」読後感
「瀧口修造 沈黙する球体」(岩崎美弥子著 水声社)を読み終えました。瀧口修造と言えば、シュルレアリスムを日本に定着させた美術批評家として、私は初めてその名を知りました。私がまだ学生だった頃で、美術界の潮流の中でシュルレアリスムは抽象をはじめとする多様な表現から派生した運動として認識していました。シュルレアリスムは提唱者アンドレ・ブルトンや画家ダリ、エルンスト、マグリット達より前に、私は瀧口修造によってその概念を学んだのでした。自宅の書棚にはおそらく瀧口修造の書籍が他の詩人や美術批評家の著作よりも多くあると思っています。全集もありますが、「コレクション 瀧口修造」(みすず書房)は第7巻が欠けています。当時私はまとめ買いをせず、一冊ずつ読みながら集めていったので、第7巻がついに手に入らなかったのでした。その頃から私が苦しんでいたのは瀧口修造の詩で、難解なものが多いためにほとんど理解不能に陥っていました。本書はその詩をテーマにした論文集なので、難解な世界を紐解く契機になりました。瀧口修造から生まれる言葉が少なからず造形美術に関係しているのを改めて確認し、もう一度「詩的実験」(思潮社)を捲ってみました。詩も造形美術と同じで、作家が考えたことやイメージしたことを、読者や鑑賞者が明確に理解するのは無理があるのかもしれません。論文集にも多くの洞察や感触が含まれています。それは作品と読者や鑑賞者の橋渡しになる人の思索力でもあるのです。説明や解説を極力排除した詩や造形美術は、あるいはそれでいいのだろうと思うようにしました。事実、私が作っている陶彫作品にも明瞭な説明がつけられない部分があります。目の前に存在する作品は、私が作ったものだけれど、どこからやってきたのか、何を主張しているのか、作者すら明確には答えることができず、何か得体のしれない生命体のような気がします。詩も同じと考えれば、瀧口修造が試みた世界もそれほど遠いものではないような気がしているのです。