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「抽象芸術の本質と性格」について➁
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅰ 抽象芸術の本質と性格」の前回の続きとして、気になった箇所をピックアップいたします。「古代芸術の作品においても、またいわゆる異国芸術の作品においても、純粋な抽象(自然の原型から切り離された)を二次的な抽象(自然主義的形態の様式化を通じての)から識別することは非常に困難である。実際にこれら文明の種々の形態は、様式の一大語彙集の観があり、われわれはその語彙を不完全に用いているにすぎず、またこれらの語彙の内容はわれわれをとまどわせるに十分なのである。だからわれわれとしては、抽象精神がひとつの普遍的な恒常数であり、この上もなく隔った諸文化のうちにも等しくみられるということ、そしてそれは、おそらく、ヴォリンガーが暗示し、われわれもすでに定義したところの根源的な観念から発しているにちがいないということをここで確認するにとどめよう。」模様についての論述がありました。「組飾り模様ーギリシャ雷文、ジグザグ、中国の雷文ーや、その無数の派生形態の象徴的意味とはなんであろうか。大よそのところつぎのように言えるだろう。すなわちそれらは、永遠回帰の欲求、調和的で規則的なリズムをもち、動的なもののなかに秩序と静的なものをもたらす、途絶えることない運動の欲求、動くもののなかの持続の欲求を意味しているのだ。このようにして、この欲求は空間恐怖を克服し、われわれの視線と精神を、不変な持続のイメージの上に規則的な間隔を置いて安定させ、かくして苦悩と絶望の生まれる源である不確実さ、疑惑、混乱の入りこむ余地をなくするのである。螺旋は、これまた抽象芸術の不変なもののなかで優位を占めるモティーフだが、これもまた明らかに同じ欲求から生じたものであり、芸術のあらゆる始源形態、つまり記念物や墳墓や巨石時代の《アレ・クーヴェルト》などの装飾のうちに螺旋がみられるというのも、この理由からである。」組飾りや螺旋は、抽象形態として定義するとこんなふうになるのかと改めて知りました。今回はここまでにします。