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「パウル・クレー」について
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅲ 現代抽象美学の形成 」の中で具体的な芸術家を取り上げていますが、今回の単元はドイツ人画家パウル・クレーです。クレーはドイツのバウハウスで教壇に立っていました。「『教育的スケッチブック』はデッサン論などというものではない。ここでは、線から発してフォルムの完全な知識に達し、さらにフォルムの内と外に、生命の神秘そのものをとらえることが問題なのである。線は、おのれ自身を追求し、さらに空間における自分の位置と動きをみずから決定し、定着する、独立した、生きた力とみなされている。デッサウのバウハウスは、装飾芸術、あるいは《応用芸術》の学校で、ドイツ系の大芸術家たち、特にライオネル・ファイニンガーやクレーが教鞭をとっていた。クレーの授業はきわめて正確、厳格なものだった。実際クレーは、正確、厳密な手段を自分のものにしないかぎり、想像力を極度に自由にくりひろげることもできないことを知っていたのである。」さらにハーバード・リードの言葉がありました。「『クレーの芸術は形而上学的な芸術である。これは外見ならびに内実に関するある哲学を要求している。この芸術は通常の知覚を真実とも十分とも認めない。眼の見るものは気まぐれで限られているー外部に向かって導かれるからだ。内部は別の世界であり、いっそうすばらしい世界である。この世界を探検せねばならぬ。画家の眼は鉛筆に集中する。鉛筆は動き、線が夢みる。』《線の夢想》、これこそパウル・クレーのタブローのもっとも特徴的な要素のひとつである。~略~『クレーにとっては、芸術は自己分析を意味している。かれはそれゆえ、作画の過程において芸術家の精神内部にどういうことが起こるか、どんな目的である素材を採用し、またどんな特別な効果をねらってこれらの素材に特殊の限定と次元を与えるのかをわれわれに語るのである。かれは現実の種々の段階や秩序のあいだに明確な区別を設け、芸術家が独自の現実の秩序を創造するのを擁護する。しかしかれは、こうした超絶的世界も、芸術家が自己の秩序のうちに暗に含まれているある種の規範に従わないかぎり創造されえないことをはっきり指摘している。芸術家は生命の起源ー《空間と時間全体の中枢》ーにまで浸透しなければならない。そのときはじめて、かれは自己に固有の技術的手段によって生命力にみちた作品を生みだすのに必要な、エネルギーと自由を得るであろう。』」今回はここまでにします。