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六本木の「田名網敬一 記憶の冒険」展
昨日、家内と東京六本木にある国立新美術館で開催されている二科展と、「田名網敬一 記憶の冒険」展に行ってきました。グラフィックアーティスト田名網敬一は若い頃からデザイン界で活躍していて、本展ではその膨大な作品数に圧倒されました。以前に回顧展をやっていたイラストレーター宇野亜喜良も同様で、自らの強烈な個性を出しながらも、時代が求めるものに応える力量に凄みさえ感じていました。田名網敬一はこの回顧展が始まると、すぐに他界してしまったために、命の終焉がくるまで制作に明け暮れていたのだろうと察します。享年88歳でしたが、爆発的造形力が枯れることもなく、生涯を駆け抜けたアーティストだったと言えます。生い立ちの背景を図録の文章から拾いました。「戦時中に空襲を経験し、爆撃による死者を目撃したこと、そして戦後一気に日本に入ってきたアメリカの大衆文化を浴びるように吸収したという両極端な経験は、長じてグラフィックアーティストとなった田名網の制作に決定的な影響を与えた。~略~同時にこの年代の制作群には、『性』にまつわるイメージも氾濫している。1960年代末に制作されたヌード絵画に始まり、ポルノ写真を使用した同時期のコラージュ、また田名網の手描きイラストを原画とするアニメ作品においてもかなり露骨な性的表現が見られる。~略~田名網の初期作品を論じるにあたって、『性』を避けて通ることはできない。それはしばしば戦闘機などのイメージと組み合わされることで、『戦争』という主題とも分かちがたく結びついているからだ。そもそもこの二つのテーマは、田名網にとって『恐怖』と『快楽』といった二項対立的な関係を構成していない。田名網は原風景として、祖父が巨大な水槽で養殖していた金魚が、空襲時に照明弾によって輝くばかりに照らし出された幻惑的な光景を挙げている。」(池上裕子著)ここで引用した文章は田名網ワールドの出発点に過ぎませんが、これが生涯を通して全てを語っているように思います。あの膨大なイメージはどこからきたのか、その後の交友関係もあり、同時代の芸術家同士がお互い刺激を求めながら制作に没頭し、その結果として今回の回顧展があると私は解釈しました。彼は制作を全てやり切ったと私は察しますが、本人はどうだったのでしょうか。