2024.09.10
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅳ 時間と運動の美学 」の後半部分の留意した箇所をピックアップしていきます。まず登場する芸術家はカルダーです。「カルダーは、絵画の手段を用いて、色彩のタッチの調和したまぶしい輝きを実現する。もし印象主義者たちが知ることができたら、たいへん興味をそそられたにちがいない。モネが、絵のなかで再現しようと試みたような、空間のなかの空気の震え、葉のそよぎ、光の滑るような反映によって起きた水面のさざ波、こうしたもの、運動をフォルムに結びつけ、不動性を消滅させようという強烈な願い以外の何物も意味しない。それにこの不動性とは、自然には完全に動かないフォルムというものが存在しない以上、ひとつの感覚にすぎないのであり、光の動きが、すでに理論的に静的な量塊に運動性をもたらすものなのだ。~略~モビールは、揺れる仕掛けで、地磁気の流れと気流の力とを同時に受けるように思われる。それは、なかば魔術的な活力を賦与されているかのようだ。その活力は、自然の状況と本質的に和合しているからこそ生まれてくる。モビールの成功は、この魅力的な柔軟さ、つまり、いわばこの謙虚さのおかげであり、作者は、その作品のために宇宙的な力が同意してくれるよう、謙虚に願うのだ。」次にモホリ・ナギーです。「モホリ・ナギーが、もっとも豊かな可能性を持つ芸術とみなしたのは、光の芸術だった。かれは、巨大な壁を動くイメージで覆い、厖大な建築的統一体を、かれの言葉を借りれば、活気づけることになる『光の建築』『光のフレスコ』を想像していた。光の幻視者モホリ・ナギーは、画家として、また空間のオブジェの構築家として(私は、これに関しては彫刻家という言葉よりもこのほうが好きだ)、つねに、もっともよく光る素材を、純粋さと調和と明るさを最高度に持つ素材を探しつづけた。極度に可延性があり、くらべもののないほど透明にみえるプレクシグラス製の構成がかれにある。これらの作品こそ、かれの晩年の理想が、もっとも感動的に実現されているものである。」今回はここまでにします。