Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「抽象絵画の主流 」について➀
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅴ 抽象絵画の主流 」は本書最後の章で、かなり長い論考があり、切れのいいところで分けて、留意した箇所をピックアップしていきます。本単元では印象主義から抽象絵画に至る文章と、表現主義について述べた文章を引用いたします。「19世紀後半に生まれた印象主義が、自然と光に対する新しい感覚を、したがって新しい感受性をつくりだしたことは確かであって、今日の誰も、まして芸術家ならなおさら、これを避けることはできない。したがって、芸術創作が最初から、まずなによりも精神の作業にひとしい古典的精神の画家たちに対して、さらに自然を《印象主義的》に観照し、それを記憶し、ついで直接の、あるいは思い出された情感をタブローへ置き換えることによって衝動が与えられるような画家たちが加わる。そのタブローは、もはや自然の再現ではなく、自然の存続であり、自律的な創造への自然の変形である。しかもその創造には、自然との接触から受けた教訓や情感が浸みとおって残っているのだ。抽象画家を、自然には無関心なものと考えることほど、ばかげたことはない。直接の知覚がその最後の状態であるタブローにまで変質されることは、反対に、自然の、しかし、具象化されない自然の根強い存続を物語っている。」次は表現主義に関する文章です。「印象主義の方向が、自然から芸術家へと向かっていたのにたいして、表現主義の画家は、そのタブローのなかに、かれの内的存在の内容を、かれの情熱あるいは夢のイメージを投影する。表現主義は、それ自身のなかに、シュルレアリスムに固有な諸要素をかなり含んでいる。わたしは、ドイツにとっては、表現主義がシュルレアリスム的な存在様式であったとさえ、言いたい。」今回はここまでにします。