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「抽象絵画の主流 」について➁
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅴ 抽象絵画の主流 」は長い論文になるので、NOTE(ブログ)には分割して、留意した文章をピックアップしていきます。「新しい形式が、詩の領域よりも、はるかに、造形芸術の領域において、かぎりなく豊かであるとすれば、それは造形芸術家たちが、大胆にも、具象的な伝統をふみこえ、もはや言葉ではなく、形態と色彩を使う新しい詩的言語が自分たちのなかに生まれでるのに助力したからにほかならない。芸術家の内面生活が深ければ深いほど、いいかえれば、言い表わしようのないものに、宿命的にぶつかる地点に近づけば近づくほど、自然や芸術上の伝統をかえりみることなく、かれ固有の言語を、第一歩から、つくりだす必要がかれに生じてくる。この言語はかれだけのものである。なぜなら、かれは、とりわけ個人的な事柄、それをとらえて造形的な形式に定着するのも困難だが、さらにそれを感じたことのない人に伝えるのにもっと困難な事柄、つまり適切にいえば、もっとも高くもっとも微妙な詩的状態を表現すべく運命づけられているからである。」新しい形式を多くの人に知らしめる苦悩がここで描かれています。さらに踏み込んだ主張が書かれていました。「現代は、外観の崩壊の彼方に、実在の本質的な構造を見いださないかぎり、現代を貫通している解体のおそるべき潮流から、生き残ることはできない。すべての価値が、疑われ、古い伝統をもってしては、もはや宇宙を解明し、芸術家が宇宙のなかに生きることを助け、そこにかれの秩序を完成するのに役立たなくなったとき、抽象芸術が生れでたのは、宿命的なことだった。すでに見たように、ひとつの恒常性に答えてきた抽象芸術にかぎらず、人間の不安とその不安をこえるための労苦とを同時に伝えることのできる形態一般が生まれる根源には、現代的な魂の本質の、つまり永遠であると同時に現代にとくに固有なものの反映にほかならない。ひとつの造形の世界を再構成しようとする必然性があるのだ。しかもこれは、古い時代の強制力と和合するのをやめ、新しい人間が自然との諸関係を樹てるために規定する新しい法則に従うことでもある。」今回はここまでにします。