2024.09.19
昨日、箱根にある彫刻の森美術館で開催中の「舟越桂 森へ行く日」展を見てきました。木彫家・素描家である舟越桂氏は今年3月29日に72歳で逝去されました。本展はその前から企画されたものなので遺作展としての意味合いはないように思いました。会場に入るとアトリエが再現された場所がありました。楠を手彫りしていた作家の周囲には、道具の他にメモ書きや走り書きしたデッサンがあり、生々しさと言うより、何か懐かしさが漂う雰囲気に満たされていました。展示されている彫刻作品や素描作品は、舟越ワールドの最たるもので、展覧会がある度に出かけている私にとっては旧知のスタイルでした。私は初期の頃の瀟洒な具象的作品が好きで、そのモデルとなった男性が、私が受験の時に通っていた予備校に勤めていた人だったので、ひょっとすると桂氏も同じ予備校に通っていた可能性もあるなぁと思っていました。本展にはその作品は展示されていませんでしたが、具象作品が次第に心象的になっていく過程をじっくり見つめることが出来ました。図録よりその箇所を書いた文章を拾います。「過剰な男性原理の優位が戦争という災厄を引き起こしている。むしろ、優しく包み込むような女性原理こそが、怒りを鎮め、戦争を終結に向かわせる。そうした救済の可能性を両性具有のスフィンクスに仮託したのではないか。」(塩田純一著)現代に生きる私たちは、一般社会との繋がりも意識せざるを得なくなるので、キナ臭い世界情勢を見ると、作家も作品を通して何か発信したいと願うのは当然の成り行きかもしれません。「舟越保武さんの人間像は写実的であり、思いや祈りのような感覚が通底していたが、舟越桂さんのそれは心象的であり、人間の本質を露わにしようと様々な実験が試みられたと言える。本展では、『人間とは何か』という普遍的な主題を舟越さんがどのように表現してきたかということを示そうと、作品を選定し、構成した。舟越さんの作品は遠いまなざしが特徴的であるが、それは翻って、見る人に自己を顧みるよう促すメッセージのようにも感じられる。」(黒河内卓郎著)舟越ワールドに対する私の好き嫌いはともかく、晩年の超現実的な両性具有の人物像は、人間の本質を捉えようと試みた作品であるのは間違いなさそうで、その先の展開が見たくても本人がいなくなってしまった今となっては、謎に包まれた世界になったとも言えます。