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新聞記事より「情報など必要としていない」
昨日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「私たちは本当のところは、情報など必要としていないのではないでしょうか。椹木野衣」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「情報検索で見つけた評判のいい店を訪ねるのは、費用対効果はあっても、経験としてはむしろ貧しい。文章の場合も、情報入手や渡航がうんと不便な時代に書かれたもののほうが『味わいがあり、得るものも多い』と美術批評家は言う。生活の雑事や記憶など『失われた時間や場所を想像力によって取り戻』せる場所につねに身を置いていたいと。『感性は感動しない』から。」新聞記事が昨日のNOTE(ブログ)から続いているのは、今日の内容が昨日の内容と関連していると私が感じたからでした。バーチャルでどこへでも行くことができ、情報は即座に入ってくる世界に生きている私たちは、物事が全て分かっているように勘違いをしていると私は思っています。昨日の芸術家李禹煥氏の言葉に「これからのアートは、経験、プロセス、時間を奪わない、人間として体験できることに立ち返った表現を考えること」という箇所があります。バーチャルで疑似体験しても記憶に残らないことが多く、寧ろその場に出かけて、自分の全身全霊で物事を味わうことの方が、心に刻まれるという体験を私は繰り返してきました。今でも私は頻繁に展覧会に出かけるのもそのためです。20代で渡航し、地中海沿岸に広がる都市遺跡を深く心に貯蓄して、それを今もテーマに作品化しているのはその証拠です。不便な思いをしてやっと辿り着いた境地、それが「発掘シリーズ」に結集しました。誤解がないように言えば、私はAIによる情報を否定する者ではありません。便利なものはどんどん活用すればいいと思っていますが、AIによる情報に左右されることがないようにしたいと思っているのです。情報過多になって心に迷いが生じるのであれば、本当に心に響くものは何か、もう一度立ち止まって整理したいと私は考えています。