2024.10.25
先日、東京上野の東京国立博物館平成館で開催している「特別展 はにわ」を見てきました。私が現在作っている陶彫の原点は埴輪とも言えるので、本展は必ず見てこようと思ったのでした。「3世紀後半、奈良県桜井市の箸墓古墳が築造される。卑弥呼の墓ではないかと推察される古墳であるが、ここからは日本列島最古の埴輪が出土している。もともと埴輪は、弥生時代の墳丘墓の上で葬送儀礼用の土器として使用された特殊器台や特殊壺を祖型として、古墳時代に入ってから作られた土製品であり、円筒埴輪や壺形埴輪から始まった。以降、徐々に埴輪はその種類を増やしていくが、仏教文化が浸透し、前方後円墳が築造されなくなる7世紀の飛鳥時代には姿を消してしまう。」私は「挂甲の武人」と称された埴輪が、埴輪の代表作と思っていて、それが本展では5体集まって展示されるのは珍しいことではないでしょうか。「あわせて5体の『埴輪 挂甲の武人』は、群馬県太田市ある駒形窯もしくはその周辺の窯で焼かれ、同一工房(同一埴輪製作工人集団)の作品と評価される。現在、群馬県に残るのは相川考古館所蔵品(群馬県太田市成塚町出土)のみである。~略~この『埴輪 挂甲の武人』は埴輪群像のなかで、どのような役割を担っていたのであろうか。貴重な挂甲(礼甲)を着用しているので、身分の高い人物がモデルであったことは間違いない。問題は亡くなった被葬者をかたどったのか、もしくは被葬者とは別の人物かであるが、研究者によって意見が分かれている。」(引用は全て河野正訓著)図録を読むと今後の研究が待たれる事案も多く、古代の謎を紐解く面白さが満載です。本展には「挂甲の武人」の他に形象埴輪と称される家や船をかたどった埴輪があったり、動物をかたどった埴輪、とりわけ馬の埴輪は美しい形態を作り出しているのが印象的でした。自分の陶彫作品に近い造形と思ったのが棺の埴輪で、施された彫り込み加飾がよく似ていました。古墳時代に私が生を受けていたら、埴輪製作工人集団にいて、一所懸命埴輪作りに明け暮れていたのではないかと空想しながら、本展を後にしました。