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「抽象絵画の主流 」について⑬
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅴ 抽象絵画の主流 」の文中に出てくる多くの芸術家を今回も3人取り上げます。まずビシエル。「ユリウス・ビシエルは、かれの造形の探究をたえまなく完璧に内面化していった果てに、静寂と凝視の王道を発見した。しかもかれは人間的なものを除き去りはしなかった。かれの作品の根底には、劇的な、きわめて激情的な底流が秘められている。見るものは、時には苦しいまでにそれを感じるほどだ。かれのなかでは、不朽のドイツ魂の悲劇の流れと、宇宙の唯一実在、つまり『原初の本質』を目指す思考の純化が本質である東洋の叡知ー道教の誘惑とが戦っている。しばしばビシエルの絵画は、フォルムの均衡の裏に、これらの『本質』を、われわれにかいま見せるように思われる。」次にゲッツ。「カルル・オットー・ゲッツは、ビシエルよりも20年ほど若い世代に属している。しかしながらかれは、表現主義のあらゆる血気、その苦しげな心をかきたてるダイナミズムを失っていない。バウハウスの経験が、かれの世代の多くの画家たちと同じく、かれにとっても決定的であった。つまり、表現主義の持っていた主要な力が、人工的でしかありえなかった古典主義に吸収されてしまわずに、反対に非具象的な構成のなかできたえられ、規制されていったということである。この構成が、かえって表現主義の爆発的な可能性をさらに育んだのだ。」最後にブッフハイスター。「ドイツにおける非具象の歴史に見透すことのできぬ役割を演じたカルル・ブッフハイスターにも、またゲルマン民族のもっとも古代から発した『抽象の恒常性』と、1910年から1920年のあいだの抽象折衷主義の第一課との連結がみられる。大胆な対比を持つ、おどろくべき稀有なマティエールを精緻に彫琢しているので、美的な経験の重々しさに、時折、自分を見失わないままに輝かしい遊びの魅力が加えられている。」以上、ドイツ系3人の画家をピックアップしました。今回はここまでにします。