2024.11.10
日曜日になり、創作活動のことについて書いていきます。私は陶彫による作品を作っているので、上野の東京国立博物館で見てきた「特別展 はにわ」を扱った新聞記事に、つい目が留まってしまうのです。一昨日の朝日新聞「天声人語」にこんな文章がありました。「だれもが知るように、埴輪の表情はどれもやさしげで、あたたかい。どうしてだろう。『古墳時代は、平和だったのでしょう。穏やかな表現が許される、自由度の高い社会だったのでは』。主任研究員の河野正則さんが教えてくれた。なるほど、人々が戦いに明け暮れているような時代には、大きな古墳や埴輪はつくれないか。馬をひく人、踊る人、ひざまずく人、相撲をとる人…。じつに多様な埴輪があることに驚く。鹿や猿といった動物もいる。なぜつくられたのか。どうして踊るのか。幾多の疑問が浮かぶ。文字の記録がないため、分からないことは多い。にっこり笑う埴輪がいる理由も、豊作の喜びか、魔よけの意味か、諸説ある。真実を知っているのはいまや当の埴輪だけか。そう思うと、どこか少し愉快になる。」埴輪の素朴な美しさは、その実物を見て私は胸中に何かがストンと落ちるように実感しました。芸術とか創作という概念がない時代に、国主の墓室に供えるために埴輪は、その埋葬品として人間や家畜、動物を模して作られたものなのか。または家や船を模したものなど実にバリエーションが豊富で、その制作の意図は謎に包まれたままというのが、埴輪の魅力を一層高めていると私は感じます。大陸から仏教が伝来すると、古墳や埴輪が作られなくなっていったのも、信仰の変遷によるものと言えそうで、それなら仏教伝来以前はどんな社会が営まれていたのか、どこまでも興味関心は尽きません。現代の視点からすると、私のような者には埴輪を造形美術として味わってしまう傾向があり、埴輪製作集団によって表現の巧拙を競うような場面があったのだろうかと勝手な想像をしてしまうのです。これも勝手な憶測ですが、諸外国の古代遺産と較べると、わが国の古代遺産には埴輪を代表とする可愛い要素があって、それが現代のゆるキャラに受け継がれていると言ったら飛躍しすぎでしょうか。日本の可愛い文化は遥か祖先の遺伝子によるものかなぁと楽しい空想もしています。