2024.11.19
17日付の朝日新聞に「感謝」という詩が掲載されました。「目が覚める 庭の紅葉が見える 昨日を思い出す まだ生きてるんだ 今日は昨日のつづき だけでいいと思う 何かをする気はない どこも痛くない 痒くもないのに感謝 いったい誰に? 神に? 世界に? 宇宙に? 分からないが 感謝の念だけは残る」老齢の境地を受け入れた自然なコトバに、私はふと気を留めました。詩人谷川俊太郎氏が13日に逝去されたニュースが飛び込んできました。享年92歳。亡くなった後に新聞に掲載されたのが、この「感謝」という詩だったのでしょうか。谷川俊太郎氏の文筆活動は多彩にわたり、多くの人に支持されてきました。私も谷川ワールドが大好きで、自宅の書棚にも多くの著書があります。以前のNOTE(ブログ)に書きましたが、私が高校1年生の現代文の授業に登場した谷川俊太郎氏のひらがなの詩によって、簡単なコトバで語られる深淵な世界を知ることになり、それが創作とは何かを自分に問いかける第一歩になったと思っています。私は彫刻によって創作活動を行っていますが、創作について考えるようになったのは美術の分野ではなく、最初は詩によって導かれたと振り返っています。美術では大学受験のためにデッサンを描いたり、入学後も人体塑造を繰り返しやっていたので、習作期間は創作とは縁のない世界だったのでした。漸く創作について考えるようになったのは海外でじっくり自分と向き合っていた時でした。その後、自分の創作への原点を思い、数々の谷川俊太郎詩集を手に入れましたが、私にはコトバのセンスが足りないこともあって、詩を書くことは諦めていました。造形美術なら比較的容易に詩的イメージを具現化できたので、自分は彫刻でやっていこうと決めました。彫刻にも表面には現れない深淵な世界を内在することもでき、陶土でできた在りのままの形態であっても、自分があれやこれや考えている思考を奥に仕舞い込むことは可能です。それを誰かに分かってもらおうとする意図はなく、まったくの自己満足に過ぎません。詩人の逝去を惜しみつつ、今日はこんなことを考えました。