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「世紀末芸術」を読み始める
「世紀末芸術」(高階秀爾著 筑摩書房)を読み始めました。昨日書いた谷川俊太郎氏の逝去記事で、享年92歳とありましたが、美術評論家高階秀爾氏も先月92歳で亡くなっています。私にとって2人の巨星が同じ92歳で逝去しているのです。世紀末芸術の産物は、20代の頃、ウィーンで暮らしていた自分に街全体に散りばめられていた装飾や商品が、その流麗な美を謳っているような気がして、その自然物からデフォルメされたデザインが好きになったのでした。NOTE(ブログ)でも折に触れて、その時代の潮流を取り上げていますが、私が10代後半の頃、西洋美術を高階秀爾著による論文で理解したように、今回も改めて世紀末芸術をさまざまな観点から学び直そうと思い、同著者による本書を手にしたのでした。自分が興味本位でNOTE(ブログ)にした記事は、散らかったオモチャ箱のようで、一度きちんと整理する必要を迫られていました。まさに世紀末芸術とは何か、西洋美術史のなかでの位置付けも含めて、自分の中で論理だてて理解したいと思います。「本書は、1961年に行ったその講義(東大教養学部)を骨子とし、その後の新しい研究なども参照しながら、一般の読者のために肉づけを施したものである。それはあくまでも現代芸術の出発点としての世紀末芸術の本質を解明しようとした試みであって、世紀末芸術の歴史ではない。しかし、この時代の重要な美術史上の事件は、それぞれの場所において指摘されているはずである。」プロローグの文章の中から一部を抜粋しましたが、実際にこの論文が書かれたのは1960年代であり、今から60年も前になります。私が高校生の頃には世紀末芸術なぞ知る由もなかったのですが、それらしい資料を見ていた高校生の私に、世紀末芸術は駄目な芸術運動だと忠告する指導者もいました。当時の日本は猛々しい現代美術が幅を利かせていて、退廃の香りのする芸術を認めなかった人がいたのも事実です。当時の私もそんなものかと思っていましたが、1980年代に私はウィーンに渡ることになり、世紀末芸術に囲まれて暮らすようになったのでした。そこで改めて知った世紀末芸術でしたが、各芸術家の伝記や評論は読んでいたものの、総体として世紀末芸術を捉えるのは初めての試みかもしれません。じっくり読んでいこうと思っています。