2024.11.25
先日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「正しく見られ、認識されれば、ありふれた事物も奇跡なのだ。チャールズ・シミック」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「古道具屋や古本屋で漁った小物や写真、ポスター等を小さな木箱に収め、一つの詩的宇宙を形づくる美術家、ジョセフ・コーネル。その彼の作品に寄せて、セルビア系の米国人詩人は、芸術は『創る』というより『見つける』ものだと語る。それはきっと、人生自体が日々の地味な努力の積み重ねでかろうじて保たれているからであろう。『コーネルの箱』(柴田元幸訳)から。」私は米国人芸術家ジョセフ・コーネルの創り出すボックス・アートが大好きで、充実したコーネルのコレクションを持つ千葉県のDIC川村記念美術館に幾度となく訪れています。常設展示されているボックス・アートから、機会がある度に私はコーネルの詩的世界観を読み取ろうとしました。その謎の解明が楽しくて、どんなにその時が多忙であったにしても、心に落ち着きを取り戻すのです。コーネルのボックス・アートは、数々のコラージュを組み合わせたもので、それは「創る」より「見つける」モノで構成されていて、そこに作者の心に潜む謎の解明に鑑賞者が挑む図式が存在するのです。文中にある「人生自体が日々の地味な努力の積み重ねでかろうじて保たれている」のは、あくまでも非日常の世界で、人生を豊かに彩るものは何も経済的な豊かさではなく、自分の夢や憧れを身近なモノで代弁させる喜びにあります。それはただの収集癖だけでなく、そのモノの組み合わせによって、自分だけで微笑していたい独り占めの世界ですが、敢えてそれをボックスに貼り付けて展示してしまうところが芸術家の性だろうと思っています。自分の記憶を表現行為にしてしまう性、恥ずかしいような誇らしいような複雑な気持ちが交叉するのは誰にでもあるのかしら、故コーネルに聞いてみたいと私は思っています。