2024.12.08
日曜日になりました。今日は家内の叔母が亡くなって葬儀があるため、工房へは行かず、朝9時に葬式に出席するため家内と家を出ました。場所は埼玉県浦和で、自動車で1時間半程度かかりました。家内の叔母は93歳で他界しました。13年前に夫である叔父が亡くなっていました。その叔父はカント哲学者の量義治でした。叔父と叔母が生前、ギャラリーせいほうでの私の個展に来ていただき、叔父から力強い励ましの言葉をかけていただきました。量義治の弟である量博満叔父は考古学者で、現在90歳になりますが、今年一人でギャラリーに来て、私の陶彫作品に触発されて、自ら研究している古代中国の文様の話をしていきました。義治叔父はカント哲学を宗教の面から研究をしていた人で、自身も無教会主義を提唱するプロテスタント系のキリスト教信者でした。叔母はキリスト教信者になったと聞いたことがなかったので、夫婦が別々の宗教をもっていた場合は葬儀や埋葬される墓はどうなるのかという話を、私は家内と車の中でしていました。葬儀会場に到着すると、叔母もキリスト教式の葬儀をすることにしたようで、例え信者でなくても、イエスの前では信者同様の式が営まれることを知りました。量夫妻とは少なからず縁のあった私は、2人の歩んだ人生がどんなものだったのか、残された家族の話から察していました。学問や宗教に生きた叔父を支えた叔母は、人には言えぬ気苦労があっただろうことは、私でも推察できました。それでも2人には慈しみ深いところがあって、叔父も叔母も私の芸術に対する主張をきちんと理解してくれていたと今も感じています。叔父の高度な宗教的知性が、叔母のその後の人生を支えていたことを知り、私自身の考えを改めました。