2024.12.10
「世紀末芸術」(高階秀爾著 筑摩書房)の第二章「世紀末芸術の背景」の最初の単元「社会的風土」の気に留めた箇所をピックアップしていきます。「西欧の統一的近代諸国家が成立して以来、19世紀末から20世紀初頭にいたるこの時期ほど、国際政治の上から平和と均衡の保たれた時代はかつてなかった。1870-71年の普仏戦争の思い出は、もはや遠い昔話となり、1914年から、西欧世界全体を動乱の渦の中にまきこむ第一次世界大戦の嵐は、遠い地平線上にその影も見せなかった。ごく少数の心ある人びとを別として、大部分の民衆は永遠に続くかと思われたこの泰平と逸楽を謳歌し、『良き時代』の安易な雰囲気にひたりきっていた。~略~しかしながら、その平和も、その繫栄も、実はうわべだけの平和、つねに脅威にさらされた繁栄にほかならなかった。この時代の国際平和は、それぞれが自国の利益のために一時的休戦を欲したゆえに生まれた危険な平和であり、隠された牙をうちにひそめた笑顔であった。」そんな危うい平和の中で栄えた世紀末芸術とはどんなものであったのか、文章から拾ってみます。「ダーウィニスムもマルキシスムも、厳密に科学的とは言えないとしても、少なくとも科学主義的であり、実証主義的であろうとしたのに反し、世紀末を飾るもろもろの思想が、ニヒリスムにせよ、生命哲学にせよ、精神分析にせよ、相対性理論にせよ、いずれも従来の素朴な科学主義、合理主義に対する不信と疑問とから出発していることは、注目に値するであろう。」政治情勢の不安によって風俗的には刹那の快楽が罷り通っていたにしろ、芸術的に優れた作品が生まれたのは事実であると私は考えます。世相という大きな捉えでないところで言えば、個人的に多少精神のバランスを欠いた状態であった時のほうが、作品に魂が宿ることがあります。私はそんな経験をしたことがあるので、西欧全体がそうした状態であったのだろうと私は理解しています。政治的安定と芸術的昇華は嚙み合わないことが多いかもしれないと、私は全く個人的な見解として、そう思っている節があります。今回はここまでにします。