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新聞記事より「平和/それは花ではなく…」
元旦の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「平和/それは花ではなく/花を育てる土  平和/それは歌ではなく/生きた唇  谷川俊太郎」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「平和は旗として掲げるものでなく、着なれた下着やいつも吸っている空気のように、『あたりまえなもの』としてあるはずだと、詩人はいう。『退屈』で『素気ない』のがその証しであるほどに。それは、願うものでも祈るものでもなく、待っていればいずれ訪れるものでもなくて、人びとの身を養うもの。だからなくてはならぬもの。詩集『うつむく青年』(1971年)から。」元旦の新聞に何で「平和」に関する詩があったのか、どうしてここで敢えて「平和」を文字として取り上げなければならなかったのか、どうやら「平和」は「あたりまえなもの」ではなくなっているのが昨今の世界情勢なのだろうと思っています。日本人である私たちの周囲には、まだ「平和」が保たれていると感じますが、情報過多な現代では世界の動向が瞬時に入ってくるし、またフェイクニュースもあり、どれが正しい情報なのか、どこから危険が忍び寄るのか、私たちは見当がつかなくなっているのです。安全安心は日常事ではなくなっているのは、些細な事件からも、また警察の注意喚起からも読み取ることができます。国家間で戦争が起きなくても、社会の歪みを私たちが日頃から感じていることで、それが弾けて、私たちの不満が政治や経済に向かうことも十分にあり得ます。社会の「平和」は心の「平穏」でもあり、そうでなければ「人びとの身を養うもの」にはならないからです。社会が安定していれば文化が育ちます。私の居場所はその文化的事業に存在し、私が工房に籠れるのは、「人びとの身を養うもの」の中にすっぽり嵌っているからだと思うからです。