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「インド密教」について
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第一章 密教とは何か」の中の「インド密教」について気になった箇所をピックアップします。「『大日経』は大乗仏教と本格的な密教の間を、いわば橋渡しした経典といえる。密教経典として見た場合は、修行法が十分に解説されていなかったり、マンダラが未完成であったりと、不徹底なところがまだ残っている。しかし、大乗仏教の基本理念にほかならない他者救済の思想はまことに濃く、ここに『大日経』の『大日経』たるゆえんもある。その点、『金剛頂経』は、修行法においてもマンダラにおいても、本格的な密教経典といっていい。その代わり、象徴的な表現がそこかしこに駆使されていて、理解するのはかなりむずかしい。ともあれ、以後の密教は『金剛頂経』が敷いた路線を疾駆していくことになる。」さらに他の宗教が消極的だった性に関する修行をも導入しています。「性行為という、人間にとっていちばん根源的であり、誰しも避けては通れないものであるにもかかわらず、いやそれゆえにこそ、世界中のあらゆる宗教が忌避してきた領域、誰の目にも、俗の中の俗と映る行為、それのみが、人間を、わけても来世の人間を、解脱や悟りという聖の極みへと、いわば跳躍させる唯一の方途なのだ、と後期密教の経典は説きはじめた。」5世紀の頃、インドではヒンドゥー教に押され気味だった仏教が『大日経』と『金剛頂経』によって巻き返しを図り、インド密教を人びとに浸透させていったのでした。ここでインド密教の分類を掲載しておきます。「日本の密教界では、インド密教を歴史的に前期・中期・後期の三期に分けて理解する。この分類の基準は、『大日経』や『金剛頂経』のような本格的な密教経典の登場をもって中期とするところにあり、それ以前を前期、密教の最終的な形態をもって後期とする。この分類法は、日本に伝えられた密教の主体をなす中期密教を最も優れた密教の形態、前期密教は未熟な密教の形態、後期密教を堕落した密教の形態とみなしたい、という願望とまったく無縁とはいいきれない。」今回はここまでにします。