2025.01.10
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第一章 密教とは何か」の中の「チベット密教」について気になった箇所をピックアップします。チベットにおける仏教の特殊性について述べた箇所が目につきました。「仏教をいわば産業化し、異民族に法を教え霊的な加護をあたえ、その見返りに財を得ることで経済を維持し、ひいては政治を主導する構造ができあがった。こうなると、宗教的な権威の優劣がそのまま政治と経済に響いてくる。その結果、各地の宗派や僧院では、おのれの密教がもつ優位性を誇示して北方の遊牧民を懐柔し、敵対勢力の排除に向かわせる事態が繰り返された。チベット高原は文字どおり、血で血を洗う熾烈な抗争の場となってしまう。~略~宗派間や僧院間の熾烈な闘争を勝ち抜くために、他を圧倒する霊的な力を身につけさせることも、密教に課せられた使命だった。日本密教でも、敵対者を密教の呪術によって殺害したり病気にしたりすることはおこなわれたが、この領域に関しても、チベット密教はもっと凄まじかった。」次にチベット密教の独自性について。「チベット密教にあって日本密教にないもの。その一つが生起次第と究竟次第の問題である。~略~生起次第と究竟次第のうち、生起次第にあたる修行は日本密教にもある。というより、日本密教の修行は生起次第だけでできているといったほいがいい。では、なぜ、究竟次第が日本密教にはないのかというと、究竟次第は後期密教のジョル(性的ヨーガ)を必須とするからで、後期密教が伝来しなかった日本密教では構築されるわけがなかった。」チベットの四大宗派について紹介だけしておきます。「現在、チベットの仏教界には四大宗派がある。ゲルク派、サキャ派、カギュ派、ニンマ派である。」現代に通じるチベット密教についても触れておきます。「現代世界で、チベット密教がもてはやされている背景に、このジョルの問題がないとはいえない。とりわけ、性を厳しく排除してきたキリスト教社会の人々からすれば、性行為を介して永遠不変の真理が獲得できるというチベット密教の論理は、奇異の極みであると同時に、魅力的にちがいないからだ。」今回はここまでにします。