2025.01.14
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第一章 密教とは何か」の中の「中国密教」について気になった箇所をピックアップします。この「中国密教」が本章の最終章になります。「その中国的に変容した密教を、もしくは中国化した密教を、中国密教と呼びたいと思う。この時期に活躍した人物は、文字どおり、多士済々というしかない。インドから渡来して『大日経』をもたらした善無畏(637~735)。同じく『金剛頂経』をもたらした金剛智(671~741)。善無畏の弟子であり、偉大な天文学者でもあった中国人の一行(683~724)。そして、なんといっても中国密教の立て役者となった不空(705~774)。ちなみに、不空はインドもしくはソグドあたりの西方民族の血を引いていたと伝えられる。そして、不空の後継者にして空海の師となる中国人の恵果(746~805)らである。」インドと違う点は、中国には既に一大国家があり、その重圧もあって密教の経典を変えざるを得ないことでした。「不空は経典の改変さえ辞さなかった。翻訳という行為は外国語の原典を忠実に母国語にうつすものと信じて疑わない現代人には、まさに信じがたいことだが、仏典の翻訳には往々にして翻訳者の恣意が入っている。~略~不空のしたことは、長い仏典翻訳史のなかでも突出している。~略~もともとのサンスクリット原典にはまったく見当たらない国王守護と護国の文言を書き加えた。~略~空海が留学先の唐において密教の師とした恵果は、この不空の直弟子にあたる。つまり、空海は不空から見れば孫弟子になり、当然の結果として、空海の国家観も、基本的には、恵果をとおして継承した不空のそれに従っていた。さらに、般若もまた、空海の師の一人だった。」中国密教は空海を介して日本に伝わり、現在も日本密教として定着しています。「中国においてインド密教から大きく変容を遂げたタイプの密教は、やがて古代の日本列島や朝鮮半島に輸入され、それぞれの地域の事情に応じてさらに変容しつつ、東アジア一帯に多大の影響をあたえることになる。その意味からすると、中国密教はもとより、日本密教や朝鮮密教をも一括して、東アジア型密教と呼ぶこともできる。」今回はここまでにします。