2025.01.29
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第二章 キーワードで考える日本密教」の中の単元「不動信仰」について気になった箇所をピックアップします。「日本のホトケのなかで、いちばん人気があるのは誰か。釈迦如来は別格として、観音菩薩(観自在菩薩)と不動明王というのが、まず妥当なところだろう。ことに現世利益となると、この両者以外には考えられない。観音菩薩は、いうまでもなく、慈悲を象徴する。それに対し、不動明王は霊的な力を象徴する。~略~不動明王の日本渡来については、空海が中国から輸入したという見解が、いわば定説となっている。いいかえれば、奈良時代には、不動明王のような強烈な忿怒の相を示すホトケは日本にいなかった。~略~この不動明王を中心に、明王という忿怒の形相をしめすホトケたちに対し、日本密教は独特の教学を築きあげた。それを『教令輪身』という。~略~これほどまでに不動明王に対する信仰が盛んになった背景は、何だったか。その理由はいくつかあろうが、一つには、日本在来の『荒ぶる神』あるいは『荒御霊』が不動明王に重ね合わされたゆえではないか。」歴史から文章を拾います。「平安時代にあって最大の政治的成功者といえば、藤原道長をあげることに異論は少ないにちがいない。その道長は、晩年、みずからが建立した法成寺にあって、現世と来世の二世の幸福を求めた。来世に関しては浄土往生をねがって九体阿弥陀をまつり、現世に関してはさらなる栄達を祈願して不動明王を中心とする五大明王の尊像の前で五人の阿闍梨が同時に修法をおこなう『五壇法』を実践していたのだ。~略~鎌倉時代の後期、元寇という未曽有の危機に遭遇したとき、日本の支配層の人々は、不動明王に怨敵退散を祈願した。このときは仏教寺院において五壇法がとりおこなわれたのはもとより、天皇の命を受けた密教僧が伊勢神宮に参籠して敵国降伏を祈ったり、京都と鎌倉の八幡宮で五壇法が修せられたりと、異例の対策が講じられている。」今回はここまでにします。