2025.02.03
先日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「できるはずだと思い上がるから、行き詰まるんです。篠田桃紅」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「いくらやってもまだ表現になっていないと思うから、行き詰まるということがない。『永遠にやったって、できないに決まっていること』を自分はやっているからと、107歳の美術家は語る。仕事を長く続けられたいま一つの理由は、人と較べたり、人に合わせたりせずに、『あとはご想像におまかせします』という気持ちでやってきたことだったとも。『これでおしまい』から。」前衛的な書を発展させ、現代アートにしてきた篠田桃紅ワールドは、今でも鑑賞者を惹きつけてやみません。空白を空間に転換した作品には、確かに終わりは見えず、毎回新たな試行錯誤があったのだろうと推察します。美術作品が表現行為になる以前は、たとえば学校での習作期間に、同じ課題に対し複数の学生が挑んでいて、そこで巧拙を競い合い、指導者が優劣をつけていきます。この後は、人と較べることから始まる習作期間が終わり、それぞれが自己表現を探るようになり、自分に問いかけることで、自分を深化させていくプロセスが待っているのです。そのプロセスでは人と較べたり、人に合わせたりできずに、本当の意味で暗中模索が始まると言っても過言ではありません。できるはずだと思い上がるのは、習作期間で他人より優位に立ったことがある人が陥ることが多く、行き詰まりも同様です。自分がやっている世界の到達点は決して容易ではないと自覚したときから、過去の拘りを捨てて、遠くにある理想郷を目ざして一歩を踏み出すのです。それは習作期間のように簡単ではなく、較べることで優位に立った人にとっては大変な試練になるのです。そんな浮遊している状態で、どこに立ち位置を見つけるか、どこを起点にしてスタートを切るのか、まずそこを定めるまでが試練の第一歩と言えそうです。