Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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新聞記事より「はじめて発見されたように見る」
昨日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「古いこと、昔から知られたこと、誰でも見て見落としてきたことをはじめて発見されたように見るということ ニーチェ」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「これが『真に独創的な頭脳の持ち主を特徴づけるもの』だと、19世紀の哲学者は言う。同時代の誰もがあたりまえのこととして前提にしている思考の初期設定、ないしはフォーマットを解除し、あらためて虚心で眺めると、事物はこれまでになかった相貌で立ち現れてくる。『人間的な、あまりにも人間的な』(浅井真男・手塚耕哉訳)から。」ニーチェの哲学書の何冊かを私は既読していて、その影響も受けています。「悲劇の誕生」からアポロン的要素(造形・理知)とディオニュソス的要素(音楽・情動)を分けて論じたことや、「ツァラトゥストラかく語れり」にあった未来永劫という発想を、私はどこかで語ったことがありますが、これはニーチェの受け売りです。そんなニーチェの言葉に対して、私はつい反応してしまうところがあります。見慣れたものや日常の慣習をもう一度新鮮な眼で捉え直せというのは、簡単なようでなかなか難しい課題です。勿論アートを見極めるならば、新たな視点、考え方で物事を捉えていくことは必要で、時にふと立ち止まって、周囲の風景が初めて見るもののように感じることが、実は大切なことだろうと考えています。描写をしようとして掌にある植物が今まで見たことのない生命体のように感じることもありました。これをあらゆるものの中に見出していけば、既存の発想に縛られないアイデアが出るだろうと思いますが、事物の成り立ちを根本から考え直すことは、現在の多忙な私たちに出来るでしょうか。ただし、新鮮な眼を養うことを忘れてはいけないと私は考えます。世の中にあたりまえは存在しません。誰かが図った決まり事に過ぎません。自分は創作行為に励んでいる間だけは、できるだけ日常を離れ、モノを創り出すことを自分に問うています。その時だけ自らを開放する感覚が自分に宿るからです。