Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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フェルメール&ワトーについて
「名画を見る眼 Ⅰ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はフェルメールの「絵画芸術」とワトーの「シテール島の巡礼」を取り上げています。まずフェルメール。「油彩画の登場とともにその頂点に達した西欧の写実主義は、本来視覚世界を通してものそのものの存在を確認しようとする試みであり、したがって最終的には手にとって触れることができるという触覚的効果を目指したものであるが、フェルメールは、視覚的効果だけで自己の世界を完結させることのできる稀有の画家であると言ってよい。対象そのものよりもその対象の上の光の効果を体系的に追及したのは、言うまでもなく印象派の画家たちであり、その点にこそ印象派の『近代性』があったのだが、とすればフェルメールは、二百年も早く、印象派の問題を先取りしていたわけである。~略~フェルメールの作品は、すべてが落ち着いた静寂さのなかに沈んでおり、一見派手ではないが、決して忘れることのできない力を持っている。彼の本領である光の表現にしても、同時代のレンブラントのようなドラマティックな激しさはなく、また、同じ室内の描写と言っても、ベラスケスのような才気も見られないが、そこにはあくまでも自己の世界を守り抜く優れた芸術家の小宇宙があるのである。」次にワトー。「生涯病身で、わずか37年間しか生きることができなかったワトーには、つねに悲哀の影がまつわりついている。彼の描き出す世界は、この『シテール島の巡礼』のように、優雅で華麗な愛の世界であり、そのために彼は『雅宴の画家』とも言われたが、それにしては、彼のそのみやびやかな饗宴には、いつも一種の哀愁が漂っている。『愛の島』の若い女たちのように、ワトーの登場人物は、歓楽の最中にあっても、ふと足をとめてもの想いにふける瞬間を持つ。彼女たちは、現在の喜びが永遠に続くものではないこと、それどころか、消え去りやすい束の間の幻であることもを、心の底ではいつも感じているかのようである。~略~彼は、威光きわまりないと思われた太陽王の没する時代に生きて、いっそう現世のはかなさを感じたに違いない。それならばこそ彼ははかなくうつろいやすいが故にいっそう美しい雅宴の世界を、せめてたぐいない筆致で描き出したのである。」今回はここまでにします。