Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

新聞記事より「見るとは?」
昨日のNOTE(ブログ)に続き、今日の朝日新聞「天声人語」に興味深い記事が掲載されていたので、取り上げることにしました。「見るとは、どういうことか。見えるとは、何を意味するのだろう。深遠な問いを考えさせられた。水戸芸術館で先月、『全盲の芸術鑑賞者』として知られる白鳥建二さん(55)とともに、現代アートを鑑賞するというイベントがあった。『何を話してもOKです。僕のことは気にせずに』。そう促され、私たち男女6人の参加者が試みたのは、1枚の絵を見ながら、それを言葉で表すことだった。~略~1時間ほどで、3作品を味わった。『みなさんの言葉を思い出し、2週間ぐらい楽しめます』。白鳥さんは愉快そうだった。『展示室の広さや、人の動き、風も感じました』。なるほど、鑑賞とはかくも多様なものか。20代の頃から、美術館を訪ね、作品の説明を聞いてきたそうだ。気づいたのは、視覚情報が芸術の一面でしかないこと。分からないことを楽しむ。そう思って独自の鑑賞活動を続けているという。目が見えても、見えないものはある。見ているつもりでも、言葉にできないものもある。そんな何かを、私も教えてもらった気がした。『みんなが自由に話すのがいい。生き方とかも同じかな』。白鳥さんは飄々と、言った。」美術館は視覚情報しかない施設だと決めつけていた私は、ショックを受けました。全盲の人が、一緒に鑑賞している人の話より、イメージを膨らませて造形思考を行なうことに、私は目から鱗が落ちました。見ることは芸術の一面でしかない、そうです、その通りです。その場合、鑑賞のヒントになる一番重要なものは言葉です。視覚情報をその人なりの言葉で伝えること、それは説明であっても詩であっても構わないわけで、作品の美しさと作者が何を表現したかという主張が伝われば、それでいいのです。しかし、それは難問で、自分自身の作品理解がどこまであるのか、自分が発する言葉で、眼前の芸術作品がどうにでも変わってしまうことに怖ろしさも感じます。それなら客観的解説ならどうなのか、それでは伝わらない何かがあるのが芸術です。そこが芸術の面白さでもあると私は考えているのです。