2025.03.26
昨日の朝日新聞夕刊に掲載されていた記事は、イギリスの画家オーブリー・ビアズリーの「サロメ」をテーマにした作品「孔雀の裳裾」について考察されたものでした。私は先月の20日に三菱一号館美術館で開催されている「異端の奇才ービアズリー展」を見ていて、この夭折の天才にただならぬ気配を感じていました。「オスカー・ワイルドが新約聖書を換骨奪胎した仏語の戯曲の英訳版挿絵である本作。サロメの体は兵士に覆いかぶさるように流線形を描き、マントの裾には孔雀の羽根があしらわれている。ホイッスラーがロンドンの個人宅で手がけた『孔雀の間』のジャポネスクな室内装飾に、ビアズリーは心酔した。彼はまた日本の春画も所有しており、浮世絵の着物や左右非対称な構図からも影響を受けたとされる。兵士が掲げる炎のようなものは、20歳そこそこのビアズリーがサイン代わりに愛用していたマークだ。本人いわく、男女の性器が結合した状態をデザイン化したものだそう。『時代の寵児のワイルドに見いだされて、粋がってたんですね。デカダンスの堕天使のように自己プロデュースして、偽悪的に奇才を演出している』と、三菱一号館美術館の加藤明子・主任学芸員。『サロメ』の挿絵では他にも、性的な要素を勝手に追加してみたり、酷く太ったワイルドの似顔絵を紛れ込ませたりと、やりたい放題。出版社から何度もボツを食らい、ワイルドからも嫌われ、お騒がせ画家は醜聞とともに名を売った。」(田中ゑれ奈著)ビアズリーは短命なことで画家生命の限界が分かっていたのか、タガが外れたようにきわどい表現を特徴として、世間を炎上させていました。私は歌劇「サロメ」をウィーンに移り住んで、あまり時間が経っていない頃に、国立歌劇場の立見席で観ました。ドイツ語もストーリーも分からず、おまけにリヒャルト・シュトラウスの現代的な曲調に、終始心が落ち着かず、とても楽しい観劇とはならなかったのですが、刺激的な舞台演出は理解できました。その時の記憶とビアズリーの世界が重なって、おどろおどろしいものとして今も脳に刻まれています。日本では味わえないバタ臭い世界だったなぁと思っています。