2025.04.11
昨日、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催されている「ヒルマ・アフ・クリント展」に行ってきました。本展をネット記事によって知り、カンディンスキーやモンドリアンに先駆けて抽象絵画を創案した女流画家という触れ込みがあったので、私は楽しみにして出かけたのでしたが、質量ともに充実していた展示内容でも、何故か私は関心を持つことが出来ず、不思議な感覚に陥りました。彼女のアカデミー時代の習作による写実描写は見事で、職業画家として歩み始めたようですが、その後に続く大規模な抽象作品に私の心はスルーしてしまいました。その原因を私は図録で知りました。「アフ・クリントが神智学やスピリチュアリズムに関心をもち始めたのは、芸術を本格的に学び始めたのと同時期の1879年頃、彼女が17歳のときとされる。やがてアカデミーでの美術教育と並行して、秘教的思想やスピリチュアリズムに接する体験は彼女の思想や表現を形成し、決定づける要因となっている。~略~物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の『進化』を目指す、神智学的教えについての絵を描くようにと告げられたのだ。この啓示によって、カッセル(友人)と共に1906年に制作を開始したのが計193点から構成される作品群で、これらを収める建造物をアフ・クリントが構想したことから『神殿のための絵画』と呼ばれる。~略~アフ・クリントの秘教的な思想をいずれか一つの組織や団体のそれに限定することはできない。しかし人智学の創始者ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の存在が生涯にわたってきわめて大きなものであり続けたことは間違いない。~略~モダン・アートとスピリチュアリズムや神秘主義のパラダイムの両立が困難になる大きなポイントは、この画家の主体性の有無である。アフ・クリントの作品に、画家の主体性は皆無だろうか。」(引用は全て三輪健仁著)これだけの作品量を見ても自分の感性が靡かなかった理由は、ここに述べられている画家の主体性の問題だったのか、私にもよく解りません。私は嘗てルドルフ・シュタイナーの書籍を読んで秘教的思想を知りましたが、近代から現代に至る美術史の潮流を作ってきた芸術哲学とは何か大きな違いがあるのかもしれません。カンディンスキーの作品にも宗教的テーマはありましたが、それですら芸術哲学に裏打ちされたものになっていたと私は思っています。