2025.04.14
「名画を見る眼 Ⅱ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はスーラの「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」とロートレックの「ムーラン・ルージュのポスター」を取り上げています。まず、スーラ。「スーラは、この静謐な風景のなかに、彼自身実際に観察して得たさまざまな人物モティーフをはめこんでいく。優れた詩人の魂の持ち主でありながら、スーラは人物でも風景でも、自分の想像力のみによって形態を生み出すことをせず、かならず実際に見た光景や、現実のモデルを写し出した姿を利用した。ただ、それらの人物や光景は、現実の世界からスーラの画面に移される時、現実の不純物をすっかり失って、清潔な造形要素に変貌しているのである。~略~モネや初期のルノワールのあの『色彩分割』の技法は、実はその複雑な効果を表現するために生み出された。しかし、モネやルノワールたちは、それを感覚的に、ほとんど本能的と言ってもよい鋭敏な感覚で捉えて表現した。彼らのタッチ(筆使い)が、大小不揃いで、何の法則性もないのはそのためである。それに対しスーラは、光の反射が物体に及ぼす影響を科学的に明らかにしようとし、それを表現するタッチも、一定の大きさの点を均等に配分するという『合理的』方法を考えた。彼自身は、自分のその方法を『色光主義』という名で呼んでいたが、当時の一般の人びとのあいだにーそして現在でもなおー『点描主義』という名称がスーラやその仲間の作品に与えられたのは、そのためなのである。」次にロートレック。「ロートレックは、新しい『ムーラン・ルージュ』のポスターを作るに際して、大変な強敵を眼の前に控えていたことになる。彼のポスターは、いやでもシュレの作品と比較されるのであろう。むろんロートレック自身そのことをよく知っていたに違いない。そのために彼が自己の武器として用いたやり方は、シュレの甘く華やかな様式とは正反対のものであった。彼は第一に彼自身の天賦の才能である冷たいまでに鋭い現実観察と、石版刷りの特色を生かした大胆な画面構成で、かつてない新しいポスターを生み出したのである。」今回はここまでにします。