2025.05.07
「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第4章 写実主義の擡頭」について気になったところをピックアップしていきます。本章では4人の画家が登場します。まず、クールベ。「この時の(1855年)の個展で、クールベは、自ら『レアリスト』(写実主義者)と名のった。『レアリスト』(写実主義)という今日ではごく普通に使われている美術用語が、広く一般に定着するようになるのは、実はこの時からである。『レアリスム』という言葉自体がはじめて登場するのは、1833年のギュスターヴ・プランシュの批評においてであるというが、しかし、30年代、40年代においては、それはまだ、決して一般的な概念ではなかった。それは、クールベという強烈な個性とともに、はじめて歴史のなかに市民権を確立することとなったのである。」2人目はコロー。「画家としての出発は比較的遅く、その活躍の時期は、ほとんど一世代年少のクールベとかなりの部分が重なり合っている。コローが最初からほとんど風景画ばかりに専心するようになるのは、もちろん彼自身のなかに生まれつき自然を愛する抒情詩人が住んでいたからには相違ないが、それと同時に、伝統的なアカデミックな訓練を受ける修業期間を持たなかったということが、やはりある程度まで影響していたようである。」3人目はミレー。「有名な《晩鐘》や《落穂拾い》にはっきり見られるように、彼はある意味で農民たちを理想化してはいるが、1848年のサロンに出品されて彼の名声を決定的なものにした《箕を簸る人》以来、種を播いたり、洗濯したり、子供に食事を与えたりする農民たちの姿は、つねに鋭い観察にもとづいた真実の姿を伝えている。」最後はドーミエ。「彼のその才能は、最初は、風刺新聞の挿絵や石版画などの白黒の世界に発揮され、油絵に移るのは、40歳になってからであるが、しかし挿絵画家時代に養われた鋭い観察眼と驚くべき描写力は、当時の社会に対する強烈な批判精神とともに、油絵の世界にも受け継がれた。」私の彫刻の師匠である池田宗弘先生は、主張する内容がドーミエの世界観に似ていて、真鍮直付けという技法で風刺の効いた作品を作っています。労働に疲れた庶民の姿をジャコメッティのような量感のない姿で表していて、その雰囲気に私は共感していました。ドーミエが身近に感じたのも池田先生のおかげかもしれません。今回はここまでにします。