2025.05.08
「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第5章 近代性の追求」について気になったところをピックアップしていきます。まず近代性についての論述がありました。「クールベは、『近代的な美』を主張したロマン派と共通の地盤の上に立っていたということができる。ボードレールが繰り返し主張しているように、1820年代、30年代のロマン派の運動は、理性に対する感受性の優位の主張であり、デッサンに対する色彩の復権の試みであったと同時に、古代に対する近代の挑戦でもあった。『美』というものは、決して永遠不動の絶対的なものではなく、時代によって多様に変りうるものであること、したがって、古代には古代の美学があったように、近代には近代にふさわしい美があること、英雄は古代の伝説や歴史のなかだけに登場するのではなく、近代にも近代の英雄が存在しうること、それが、ボードレールをはじめロマン派を擁護した批評家たちの主張であった。」次にこの時代を代表する2人の画家が登場します。まず、マネ。「落選展に出品された《草上の昼食》は、ごく少数の支持者は別として、圧倒的に多くの人々から激しい非難攻撃を受けた。その非難は、二年後のサロンに《オランピア》が並べられた時、いっそう激越なものとなった。もちろん、マネ以前にも、悪口を言われた画家がいなかったわけではないが、しかし、罵倒されることによって世に知られ、スキャンダルによって歴史を作っていったのは、ほとんどマネがはじめてだと言ってもよい。」次にドガ。「ドガは、そのような『近代的』なテーマを、風俗的な興味から描いたのではない。彼は、複雑な動きを示す踊子や馬や歌手などの形態を追求することによって、人間や動物の身体のメカニズムをいっそう的確に捉えようとした。いわばそれは、形態の真実を追求する科学者の観察であったとも言える。それによって、ドガは、思いがけないポーズや新しい視角を見出し、新鮮な驚きを与えてくれるのである。」ここに続く印象派の登場は、決して突然変異ではなく、先陣を切った画家たちのコンセプトがあればこその潮流であったことがよく分かります。今回はここまでにします。