2025.05.13
「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第6章 印象派の登場」について気になったところをピックアップしていきます。「後に『印象派』という名前で呼ばれるようになる一群の若者たちが、パリのキャピュシース大通り35番地にあったナダール写真館の二階でその最初の展覧会を開いたのは、1874年4月15日のことである。~略~この第1回展に《キャピュシース大通り》と並んで出品されたモネの《印象・日の出》という作品の題名が『印象主義』の名称の由来であったとされている。もともとこの題名自身、後にモネが語っているところによれば、最初はただ《日の出》であったのだが、展覧会のカタログ制作を担当したルノワールの弟のエドモンが、それだけではあまりに無愛想だからもう少し魅力的な題名をつけてくれと言ったので、モネが思わず、『それなら《印象》とつけ加えたまえ』と答えたことから生まれてきたものであると言う。」当時の批評家の嘲罵の的となった印象主義が、やがて時代を変えていくことは、ここから先の革新的な美術運動が、常に嘲罵を伴う傾向になるのは美術史が証明しています。ここで印象主義の美学と技法について書かれた箇所を引用していきます。「モネたちは、自然の輝きを画面に定着させる独特な技法を生み出した。『筆触分割』ないしは『色彩分割』と呼ばれるやり方がそれである。それは、太陽の光を構成するプリズムの七色を基本とし、しかもそれらをおたがいに混ぜないで使用するという技法といちおう規定することができよう。プリズムの七色は、言うまでもなく自然の多彩な輝きを生み出すもととなるものであり、また『混ぜない』ということは、自然の明るさをカンヴァスの上でも保証してくれるものだったからである。~略~赤は緑を強め、逆に緑は赤を強める性質を持っているから、この両者を並置すれば、おたがいに相手の力を強め合って、輝かしい効果を生み出す。すなわち、三原色と第一混合色を基本とし、それ以上なるべく色を混ぜ合わせず、必要な場合には基本の色を小さなタッチで並置し、しかもなるべく補色の効果をあげるようにするというのが、印象派の画家たちの根本的な技法であると言えるのである。」今回はここまでにします。