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「印象派の画家たち」について
「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第7章 印象派の画家たち」について気になったところをピックアップしていきます。「1874年にナダールの店に集まった若者たちは、すでに1860年代から、さまざまなかたちでグループを作り、おたがいに芸術についての意見を交換し合い、刺戟を与え合っていた。彼らは、もちろんそれぞれに経歴も異なり、資質も違っていたが、しかし、当時『サロン』において支配的であった新古典主義の美学に反対し、いっそう自由な表現を求める点では一致していた。彼らは、ロマン派の画家たちが個々に追求した自由で個性的な表現を、共通の目的意識として集まった仲間たちであったと言ってよい。」本章では2人の画家を取り上げています。まず、モネ。「『連作』の最初のものは、畑のなかの積藁をモティーフにしたものであったが、モネ自身が語っているところによると、最初は彼は、晴れた時と曇った時と、二点描けばそれで十分だと考えていた。ところが実際に写生してみると、天気は変わらなくても光は微妙に変化してすでに積藁の色は別のものになっていた。彼はあわてて別のカンヴァスを用意させ、それに新たに描き始めたが、それもしばらくすると、現実と違うものになってしまった。このようにして、光が変化するたびに新しいカンヴァスに移り、とうとう全部で、15点の《積藁》ができあがってしまったという。~略~最晩年の《睡蓮》の連作においては、画面はほとんどそのまま池の面と重なり、ほんのわずかな水面のそよぎも、光を含んだ色彩に翻訳され、われわれは、光の洪水のなかに快く溺れこんでしまうことになる。」次にシスレー。「彼は、天成の風景画家で、それもサン・ラザール駅を描いたモネや、パリの町の広場を画題としたピサロなどと違って、都会的、近代的なものには関心を示さず、フォンテーヌブローの森の小道や、オンフルールの海岸や、その他イル・ド・フランスの名もない小さな田舎の村の平凡な風景を、飽きることなく、繰り返し描き続けた。とくに、モネと同じように、微妙な光の変化を反射する水面の輝きを好み、白い雲を映すサン・マルタン運河や、木立の間を流れるロワン河、洪水の時のセーヌ川などをしばしば描いた。」今回はここまでにします。