2025.05.19
「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第10章 象徴主義と綜合主義」について気になったところをピックアップしていきます。「象徴主義の本質は、モレアスの言葉を借りるならば、『理念に感覚的形態の衣裳をまとわせること』であった。絵画の世界で言うなら、描き出されたものは、単に外面的な衣裳であって、その奥に、直接感覚では捉えることのできない『理念』が隠されているということである。逆に言えば、絵画とは、単に眼に見える世界をそのまま再現するだけではなく、眼に見えない世界、内面の世界、魂の領域にまで探求の眼を向けるところに、その本質的な役割があるというのが、象徴主義の考え方であった。」それでは綜合主義とは何か、こんな論考がありました。「形態の『綜合』は、当然色彩の『綜合』をももたらす。色彩は、こまかく分割されるのではなく、ひとつひとつの『仕切り』のなかでは、平坦で強烈な色面として捉えられる。その結果、画面は、一方ではステンドグラスのように装飾的になると同時に、他方では、眼の前の現実を越えた『思想』の表現ともなる。説教を聞いた後のブルターニュの女たちの姿と、彼女たちの心に浮かんだ幻影とを強烈な赤のバックで結びつけて同一の平面の上に表現した《説教の後の幻影、ヤコブと天使の闘い》など、そのゴーギャンの美学を典型的に示すものと言ってよいであろう。この作品が描かれたのは1888年のことであるが、絵画における象徴主義的綜合主義は、ほぼこの時に成立したと言ってよい。」その代表的な画家であるゴーギャンは、さらに先に進んで行きます。「眼に見える現実とは違った魂の神秘の世界を求めるゴーギャンの冒険は、それだけでは終わらなかった。表面的な繁栄に酔いしれるヨーロッパに強い嫌悪を感じたゴーギャンは、ついに文明世界からの脱出を決意し、遠く未開の地タヒチ島に渡ることになるのである。」この印象主義から象徴主義的綜合主義にわたる大きな変革のなかで、私はゴーギャンの世界が大好きです。これは理念ではなく私の単なる嗜好の問題ですが、平坦に塗られた独特な色彩だけではなく、始原的な生命を感じさせる形態も含めて、私の心に刺さるのです。今回はここまでにします。