2025.06.08
日曜日になりました。日曜日は主に創作活動について書いていますが、まだ来年発表予定の新作が具体性を持たず、湧いてきたイメージも曖昧なままです。それでも陶土を混合して、菊練りを行ない、まず陶彫成形の第一歩を踏み出しました。今年7月にギャラリーせいほうで発表する「発掘~跨橋~」は陶彫作品と陶彫作品を繋ぐ橋を、タイトルとして採用しています。新しい作品も「発掘~跨橋~」の発展形としてイメージしているので、主張するところは同じですが、橋桁から橋桁を繋ぐ橋が崩壊している姿を、私は思い浮かべていて、これをどうしようか思案しているところです。彫刻は物質を据えるため重力があり、それを支えるための工夫が必要です。絵画のような平面表現であれば、イメージを羽ばたかせることもできますが、空間芸術には制約が多いので、橋をどのように作り、それを支えるのか、または吊るのか、構造を具体的にするために原初的なイメージを育てていかなければならないのです。橋桁も重要な造形になり、それは私に画像としてイメージできているものがあります。従来なら20代終わりに旅したエーゲ海沿岸の古代遺跡がイメージの土台にあると言いたいところですが、40年も前の記憶は既に朧気で、自作に相応しい新たに仕入れたものを使うしか方法はありません。ふと頭を過ったのはドイツロマン派の画家フリードリヒの廃墟になった僧院を描いた絵画で、その暗いイメージが崩壊された橋にぴったりだなぁと思ったのでした。それはあくまでもイメージの補助でしかなく、その絵画を模倣することはありませんが、私はフリードリヒの広漠とした世界が好きで、崩壊と言うとドイツの画家フリードリヒか、イタリアの版画家ピラネージが浮かんできます。自分の引き出しにある芸術家はそれくらいですが、時折彼らの作風に接して見たくなるのは私の性癖だろうと思います。