Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「キュビスムの画家たち」について
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第18章 キュビスムの画家たち」について気になったところをピックアップしていきます。「考えてみれば『印象派』以来、近代絵画はずいぶん悪口によって色どりを与えられてきた。『キュビスム』もそのひとつで、あらゆる前衛的なものに強い興味を示した詩人ギョーム・アポリネールは、早くも1911年も講演で、『私は、嘲笑の言葉として与えられたこの〈キュビスト〉という呼び名を、私の友人たちのために採用したいと思う』と宣言して、事実、それから2年後には、『キュビスムの画家たち』と題する評論集を刊行した。~略~歴史的にはキュビスムの美学の展開は、対象の『解体』を徹底的に追求する1908年ごろから11年ごろまでの『分析的時代』と、その『解体』の結果、画面ではほとんど見分けがつかないまでばらばらにされてしまった対象をもう一度はっきりした形で復活させようとするその後の『綜合的時代』とに分けられるが、その『分析』から『綜合』への転換を特徴づけるものは、ほかならぬ『オブジェ』の利用であった。」ここで2人の画家に注目します。まず、ブラック。「1907年から第一次世界大戦の始まる1914年まで、彼はピカソとほとんど一体になってキュビスムの探求にすべてを捧げるが、この時代のキュビスムの持つ厳しい知的な構成は、ピカソ以上にむしろブラックの気質に似つかわしいものであった。もっとも、この時期のふたりの活動は、きわめて密接に結びついており、『コラージュ』の利用などもふたりの作品に相前後して登場してくるので、キュビスムの美学への寄与においてどちらがいっそう大きな役割を果たしたかは、容易に決定しがたい。むしろ奔放で情熱的なピカソと、冷静で理知的なブラックとの文字どおりの協力によって、あの革命的な事業がなしとげられたと言うべきであろう。」次はレジェ。「『私はセザンヌの影響を追いはらうのに3年かかった。そのために私は、ほとんど抽象の世界にまで行ったのだ』という彼自身の告白は、おそらく正直なところであったろう。そして、そのことは同時に、セザンヌからキュビスムを経て抽象絵画へと向かう道程が、モンドリアンの場合ばかりではなく、レジェにおいても暗示されている点で、われわれにとってきわめて興味深い。」今回はここまでにします。