2025.06.22
日曜日になりました。日曜日は主に創作活動について述べていますが、今回は昨晩自宅に届いた7月個展の案内状について書いていきます。個展の作品を紹介する図録もそうですが、案内状も大切なアイテムだと私は思っています。この案内状に関して私には忘れられない思い出があります。20代後半、私はオーストリアの首都にあるウィーン国立美術アカデミーに在籍していました。私がいた頃アカデミーで人気があったのは絵画のクラスで、当時欧州美術界を席巻していたのはウィーン幻想派の5人の巨匠たちで、そのうちルドルフ・ハウズナーとアントン・レームデンがクラスを持って教壇に立っていました。私が知り合ったベネディクト・フェリンはハウズナー教室にいて、ヒマラヤの山麓を背景に民族衣装に身を固めた老婆を描いていて、衣裳の襞と老婆の皺で緻密に表現された絵画は、人目を引く出来栄えでした。彼はアジアの風俗文化に興味があったらしく、高地に住む人々の風貌を自らのテーマにしていました。私が驚いたのは彼の絵画に対する考え方で、おそらく個展があって、そこに向けて作品を準備していた頃に彼を訪ねたら、オリジナル作品に少々手を加えてはそれを画像に収め、画像として作品がどのように映っているかを確かめていたことでした。オリジナルよりまず案内状に使う画像の見栄えを気にする彼に、どうしてそんな本末転倒なことをするのか尋ねたら、個展に人が来るかどうかは案内状を見て判断するので、まず案内状の質を高めることだ、オリジナルは二の次だという答が返ってきました。これに私は混乱して作品の持つ内容はどうなるのだと思っていましたが、現在となってはSNS全盛の時代にあって、何かと写真に収め、インスタ映えを目的にしている風潮は、まさに40年前に私が見た光景そのものなのです。私もオリジナルであるアナログ作品とカメラマンが撮るデジタル作品を等価に扱っていて、当時フェリンのやっていたことと変わりはないことに気づきました。展覧会の広報にはバエる画像を選ぶのは当たり前のことと言えます。