Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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40年で失ったもの
今日も私は東京銀座のギャラリーせいほうの個展会場にずっといました。鑑賞者がやってきては、いろいろな話が出来るのを私は幸せと感じていますが、今日のエピソードは私にとって考えさせられたものでした。欧米人と思われる若い女性が一人、ギャラリーにやってきて、私の作品をじっくり眺めていました。あまりにも熱心に見ているので、私は声を掛けました。彼女は日本語が出来ない観光客で、英語のやり取りの後で、出身国がスイスだと判明しました。それならドイツ語だろうと思い、私がドイツ語で話したら、彼女は堰を切ったようにドイツ語で喋り出し、私はもう少しゆっくり話してくれないかと話を遮りました。おそらく日本旅行中は英語でやり取りしていた彼女は、母国語の気安さがあったのだろうと思います。私は1980年から85年までオーストリアのウィーン美術アカデミーに在籍していたことを伝え、もう40年も前のことで、ドイツ語をほとんど忘れていることもつけ加えました。彼女はバーゼルの美術アカデミーでグラフィックデザインを学び、ベルンで印刷関係の仕事をしているそうで、残り数日でスイスに帰ることが私にも理解できました。そこまでのコミュニケーションは良かったものの、彼女が一番私に聞きたい事、それは作品の制作動機やらコンセプトで、これらをドイツ語で私が説明しなくてはならず、現状では語学の壁があって無理な欲求としか言いようがありませんでした。ウィーンにいた頃は、当時の薄っぺらな作品コンセプトをドイツ語で難なく言えていたものが、現在の私は確固たる作品コンセプトができているのに、ドイツ語の語彙が出てこず、さらにドイツ語の感覚も失われていて、話したくても話せないジレンマに陥りました。40年で失ったものは語学とそれに纏わる異文化理解でした。夕方、アフリカの大使館に勤める従姉妹がギャラリーにやってきて、そのことを話したら、変換アプリを使えばいいのに、と言いました。成程、そこまで頭が回らなかった私は古い世代なんだなと思いました。