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「ミケランジェロ」について・9
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。ミケランジェロの最晩年は本書の著者ヴァザーリと密接であったらしく、本書では詳細な記述があり、私は興味津々になってなかなか先へ読み進むことができません。「毎日鑿をふるって時を過ごせるように、何か大理石材を見つける必要があった。それで前のものとは違うもう一つの、ピエタがすでに荒削りされている、非常に小さい別の大理石片を置いた。さて、建築家ピㇽロ・リゴーリオはパウルス四世に仕え、サン・ピエートロ寺建造に関わるようになっていた。そしてミケランジェロを苦しめ、彼は耄碌したと言いふらすようになった。こうしたことに腹を立てて、彼は進んでフィレンツェに帰ろうとした。だが帰りをぐずぐずしていたので、ヴァザーリは、ミケランジェロが非常に年老いていることは知っていたが、新たに手紙でせきたてた。彼はすでに81歳になっていたのである。この頃彼は習慣のようにヴァザーリに手紙を書いて、さまざまの霊的なソネットを寄せ、自分は人生の終わりにあり、自分のさまざまな考えをどこで保ちつづけたらよいか吟味していると言ってきた。それらを読んでヴァザーリは、彼はすでに人生の24時にあり、死に刻まれた思いしか生まれなくなっていることを知ったのである。~略~こういった苦心を知って、コージモ公はミケランジェロがフィレンツェに戻る約束を免じた。公は自分がミケランジェロの幸福を願っており、この世で他の何よりも重要なサン・ピエートロ寺建造を続けるようにと言い、心を平安にと言ってやった。それでミケランジェロは前述の書簡で、ヴァザーリに、できるかぎりの真心で公に感謝しているむねを伝え、こう書き添えた。『神がこの哀れな身で、お仕えできますようお助けください』。なぜなら、記憶力も頭脳も、彼を他で待つところにすでにあったからである。この書簡の日付は1558年8月であった。このことからミケランジェロは、公を敬愛している自分以上に公が彼の生命や名誉を大事に思ってくれていることを理解した。」今回はここまでにします。