2025.09.16
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)を読み終えました。とりわけ「芸術家列伝3」はレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの二大巨匠のみを取り上げており、その中でもヴァザーリと密接に関わったミケランジェロの記述が圧倒的な頁数を占めていました。本書の最後には翻訳者である田中英道氏によるヴァザーリ論がありました。「ヴァザーリは絵画と美術家をどのように、人間の精神の表現ー美術史として見ていたのか。まずそれは文学とも思想とも異なる、線、形、色彩、という視覚的な表現の自立性を見ることであった。決して画家の生涯を、文学的にたどれば、画家伝となるという『列伝体』の著述のことではない。それは彼が言う、『ディゼーニョ』(普遍性・全体性)の見方のことである。ほとんど、このデッサンの良し悪しで、芸術家の才能、価値が決まってくる、という美術批評の原点のことである。見るものもその線の質そのものを見分ける眼がなければ、美術史などは成り立たない。それは絵画・彫刻・建築の基本となるものであった。彼は『ディゼーニョ』を、単に技術的な腕前である以上に、精神的領域にある表現であり、その芸術家の形而上学的原理に基づいている、と見ていた。つまり美術の本質そのものとして、である。」ここでミケランジェロの制作について、ヴァザーリがどの程度理解していたかに話が及びます。「周知のことだが、1980年から93年にかけて、システィーナ礼拝堂のミケランジェロのフレスコ天井画が、ここ500年ではじめて大がかりに修復、洗浄された。日本の放送会社が資金を出して行われたこともあって、私たち日本人研究者グループが、その調査を行うことができた。」そこでヴァザーリの著作との内容的な矛盾が発見されています。またダ・ヴィンチの「モナ・リザ」についてもこんな記述がありました。「確かに、レオナルドが、この肖像画をフィレンツェで描いているとき、まだヴァザーリは生まれていなかったし(1511年生まれ)、その図は、レオナルドがフランスにまで持って行って1519年に死亡した後は、ずっとフランスにあったから、そこまで旅しない限り、見ることは出来なかったのである。従って、この記述は、すべて想像か、または何らかのコピー図を見て書いたか、どちらかである。」そこで「芸術家列伝」についての記述です。「『近代』になって、視覚芸術に関する、文字で書かれた記録の研究が発達し、それが他の考察を駆逐し始めたのである。そこに文字による記録が、絵画の視覚的証拠よりも確実に見える、という事態が現出し、知識人たち、美術史家たちが、それに固執してしまう、と言ってよい。つまり視覚的史料は言葉ほど確実ではない、という『近代』の『科学的?』証拠主義の結果と言えるだろう。それほどヴァザーリの記述は、イタリア美術に対して、第一次史料になってしまったのである。」