2025.09.24
「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)の3つ目の章は「忘れられない廃家」という題がついています。本章で気を留めた箇所は作家エドガー・アラン・ポーに纏わる話題です。「ディケンズの小説では、人間の精神を表現するのに建物という物質的な存在が象徴として使われている。それはたとえば、ミス・ハヴィシャムの悲しみや不毛な心は、レンガや石となって凝り固まっていた。ところがエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』では、建物と所有者の類似性はさらにいちだんと濃密さを増す。館とそこに住む一族は、近辺の農民たちにとってまったく同一のものに思えた。しかし、この物語の語り手の発見によると、館を形作る石の方がそこに住む人間よりも、いっそういきいきと生気を帯びているという。~略~ロデリック・アッシャーは何年もの間、一歩も館の外へ出たことがなかった。そのため彼は、先祖の家のもつ独特な霊気に徐々に毒されていった。『灰色の壁や塔、それにそれらが見下ろす薄暗い沼の形(フィジック)が、結局のところ、彼の倫理感(モラル)の形成に影響を及ぼすことになった』。何世紀にもわたって、館の霊気は『一族の運命を左右し、…彼を今、目の前に見るような人間にー現在の彼に作り上げたのである』。」この作品はポーによる文学上のゴシック主義と称されているようです。「『彼は幻影にとりつかれている心、混乱した頭を暗示し』ようとした。1923年にこう書いたのはD・H・ローレンスである。ローレンスは『アッシャー家の崩壊』に見られる地下への脅迫的ともいえる執着が、ポーを『穴蔵や地下室、そして人間の魂が持つ恐ろしい地下通路への冒険家』にしたことを認めている。ポーは『自分自身の魂が崩壊する過程』を白日の下へさらした。そしてそれは21世紀の人類が陥ることになる精神神経症を予示するものとなった。ポーはまたフロイトをも予想していたといえる。考古学を精神分析のために必要な類推の手立てと見なした、あのフロイトを。~略~人間の魂はこれまで古典文学によって、確固不動のものとされてきたわけだが、その魂の深奥に地下室や塔、それに中世の廃墟の影などが触れうる、あるいは届きうることを建築家に示したのは、他ならぬ小説家たちだった。しかし文学やその解説などをもってしても、ポーが描いた建築に関わる描写の生彩に富んだ表現には、なお解きえぬ謎めいた部分がある。」今回はここまでにします。