Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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上野の「運慶」展
昨日、上野にある東京国立博物館で開催されている「運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」展に行ってきました。本館特別五室に国宝仏像7躯が配置された空間は、荘厳な雰囲気が漂い、量感溢れる運慶の造形に魅せられました。過去に幾度となく運慶の仏像を見ていても、また新たな感動がやってくるのが運慶ワールドの定番で、写実の中に魂が籠っていると私は感じています。図録より仏像の知的背景を探りました。「中尊弥勒像は厳しい表情、印相や内衣といった奈良時代の如来像に通有の表現が特徴で、天平古像を模したことが明らかである。体部は胸を張りながらも首を前に突き出してやや猫背とするが、斜側面や側面から見ると正面からはうかがえないほど、たっぷりとした量感を持つことに驚かされる。自然と構えた右手も、絶妙な計算の上であることが理解される。古像の復興という課題を、写実を基本とした新様式を駆使しながら解決した傑作である。」さらに四天王像について。「弥勒像台座墨書によると、四天王像の頭仏師は東方(持国天)を法眼湛慶、南方(増長天)を法橋康運、西方(広目天)を法橋康弁、北方(多聞天)を法橋康勝というように、運慶の子息四兄弟が担当していたようだ。この四天王像の破格とも評すべき激しい動勢と怒りの表現が、弥勒、無著・世親とどのように響きあうのかが、本展の一番の見どころといってよい。」そして二羅漢像について。「二羅漢像(無著・世親)の名称については議論のあるところだが、この墨書に『世親』『无著』とあることから鎌倉復興時には無著・世親像として造立されたことは明らかである。」(児島大輔著)運慶とはどんな人物だったのか、形態の捉えを誰に学んだのか、解剖学なんて発想のなかった時代に、この肉感を彫り出したのは単に才覚だけで可能だったのか。私は大学時代、覚束ない人体塑造に自分の立体感覚のなさに嘆いていた時がありました。そんな中で勇気づけられていたのは、ロダンやブールデル、果てはミケランジェロだけだったのではなく、体躯が衣の下に脈打っている運慶の仏像だったのでした。今回は本来の祈りの空間ではなく、場所を博物館に移した運慶の仏像は、あの日私が見た美術作品としての像そのもので、懐かしさが込み上げてきたのも納得の瞬間でした。