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日本橋の「円山応挙」展
先日、東京日本橋室町にある三井記念美術館で開催している「円山応挙」展に行ってきました。江戸時代の絵師は狩野派を中心とした正統がありましたが、そこに伊藤若冲や曽我蕭白らの奇想の画家が加わって、現代の解釈では表現豊かな視覚文化を形成していたと考えられます。それでも主流となった絵師には、円山四条派を打ち立てた円山応挙がいたと私は思っています。日本絵画史の中で西洋絵画のような写実に基づいた絵画は、円山応挙がその代表格で、まさに視覚の再現した世界、つまり見たままを描いた世界に、当時の鑑賞者はその革新性に驚きを持つと同時に、画壇では人気絶頂になったのだろうと想像しています。図録より拾います。「応挙の絵は、現代の多くの人にとっては『ふつう』に見えてしまうのである。だが、江戸時代、18世紀の人々にとっては、まったく『ふつう』ではなく、それまで見たこともなかったようなヴァーチャル・リアリティだったのである。水の中を泳いでいる鯉、眼前に迫ってくるような虎、せり出してくる孔雀の首、遠くまで続く山水の空間…当時の人たちはそんな応挙の画業を喝采を持って受け止めた。だからこそ、応挙は瞬く間に京都画壇のナンバーワンの絵師になった。」(山下裕二著)私が本展で見た応挙の代表作品は、過去に幾度となく見ていますが、それは決して「ふつう」ではなく、そのリアルを求めた絶妙な運筆などが「ふつう」を超えた表現になっていると感じました。それは真摯に向かい合ったであろう手帖の写生や描写表現によく表れています。それが結集して大作屏風が出来上がっているわけで、私が応挙を知った最初の頃、雪の扱いに驚きを持って見つめた「雪松図屏風」や、鯉の描写を飽きるほど見つめた「龍門図」、これは魚が黄河中流の龍門を越えると龍となるという伝説に由来したもので、私はその発想に忘れられない印象がありました。本展に出品されていたそれらの作品に、私は何度も感動を覚えるのでした。本展の中心に据えた話題作はやはり別稿を起こさざるを得ず、また次回のNOTE(ブログ)に書かせていただきます。