2025.10.07
先日見に行った「円山応挙」展の中心に据えた話題作は「竹鶏図・梅鯉図屏風」で、大勢の鑑賞者が作品の前に集まっていました。私も嬉しさを噛み締めながら、じっくり作品を見つめていました。どんな作品なのか、2024年10月8日に私が綴ったNOTE(ブログ)から引用します。「『ともに江戸時代中期の京都画壇を代表する絵師、伊藤若冲(1716~1800)と円山応挙(1733~1795)が合作した屏風が新たに見つかった。2人の合作は類例がない。』(朝日新聞記載)若冲と応挙の展覧会となれば、私は必ず出かけていき、それぞれ画風の異なる超絶技巧の作品を別の場面で堪能してきました。発見された屏風は専門家の鑑定により真作と判断されたようです。~略~この屏風は是非とも見たいものですが、近々大阪中之島美術館で公開されるそうです。これは将来、関東にも巡回してやってくるのでしょうか。」この時の私の気持ちが天に伝わったのか、東京日本橋の三井記念美術館で2大巨匠の競作を見ることができました。今回の図録より引用いたします。「いくぶん控えめな鯉と梅を描いた応挙の絵を見て、若冲は鶏の尾羽に思い切り筆を揮った。応挙は、17歳年上の若冲に敬意を払ってこの絵を描いた。そして若冲は、そんな応挙の敬意と実力をよくわかっていて、だからこそ、おそらく応挙から提案されたこの合作の依頼を受けたのだと思う。そして、私はいまこの合作屏風に眼を凝らしながら、あらためてこの二人の絵師のありように思いを馳せている。若冲の作品は、そのほとんどが花鳥画である。人物画、仏画も手がけてはいるが、きわめて少ない。そして、いわゆる山水画は皆無である。それに対して、応挙は山水、人物、花鳥など、あらゆる画題を手がけて、非の打ちどころのない完璧な様式をつくりだした。」(山下裕二著)京都画壇にあって、しかも自宅も近かった2大巨匠は、きっと競争意識もあったはずで、それ故、合作屏風に籠められた画魂にただならぬ気配を感じたのは私だけではないでしょう。一緒に見ていた家内もその気迫に押されていました。本作は一見に値する作品だと思います。