Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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傘も差さずにエフェソスで
「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)の4つ目の章は「傘も差さずにエフェソスで」という題がついています。著者がトルコのエフェソスを訪ねた折に、頭に去来する廃墟のあり様を綴ったものと解釈しました。まず英ロマン派の詩人パーシィ・ビシュ・シェリーが登場する箇所。「シェリーが未来に希望を見つけ出すことができたのは、古代ローマの遺跡の中だけだった。とりわけそれは、カラカラ浴場の中で咲き乱れる花や木々の中だった。浴場の壁はいわば暴政の力を象徴していた。それはカラカラ帝の権力であり、ブルボン家の権力であり、そして『旧態然として、蒙昧で、軽蔑すべき、死に瀕した』イギリス国王ジョージ三世の権力でもあった。しかし、皇帝の中でも際立って残忍な者(カラカラ帝)によって建てられた、権力の象徴である建物も、イチジクやギンバイカや月桂樹などの根が、徐々にその石組みに入りこみ、それをゆるめていくにしたがって、崩れ、崩壊しつつあった。草木の活力に満ちあふれた、猛々しい多産な能力は、自然の避けがたい勝利を約束していた。」次にファン・ゴッホを取り上げます。「ゴッホの『ヌエネンの教会の塔』(1885。一般には『農夫たちの教会の中庭』という題名で知られている)という絵の中で描かれているのは、廃墟となった石塔である。それは木で作られたいくつかの十字架で取り囲まれている。そして十字架は、村人たちの墓のありかを示していた。この絵が描かれたのはゴッホの初期の時代だった。当時、彼は田舎の貧しい人々を描いていた(この時期の描かれた作品で、もっとも有名なものは『ジャガイモを食べる人々』)。そして彼は、貧しい人々の生と死を自然のリズムの一部として認識した。その自然は農作物を植えたり、収穫する季節として、農夫たちには欠かすことのできないものだった。みすぼらしいが飾り気のない十字架は、びちゃびちゃの大地にあたかも根づいているかのようにして立っている。教会の庭にある大地は、畑の大地とまったく同じものだった。この十字架と対照的な姿で描かれているのが廃墟と化した教会の石塔である。それは何かむりやり押しつけられたもののように不自然に描かれている。ここで暗に示されているのは、自然の深いサイクルに比べて、つかの間のはかない存在にしかすぎない宗教という異質なしきたりだった。」今回はここまでにします。