Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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20年間通い続けた東京銀座
昨日、NHKで「映像の世紀」をやっていて、私は同番組を必ず視聴しています。本作は資料映像や編集が秀逸で、番組作りに真摯に取り組んだスタッフたちの底力に、私は毎回惹かれてしまうのです。昨日は「銀座  百年の記憶」というテーマで、東京の銀座が舞台でした。その銀座が歩んだ歴史で、関東大震災で壊滅的な破壊を受けた街が、復興を遂げたのも束の間、第二次世界大戦の敗戦で米軍に占領され、そこに群がる日本の娼婦たちの逞しさが印象に残りました。モダンガールの出現など時代の最先端を牽引する街が、昼夜問わずスタイルの流行やエンターテイメントの清濁合わせ持った文化的や風俗的な有様があって、まさに戦後日本の驚異的な発展を物語る歴史になっていました。私は横浜に住んでいたにも関わらず、まだ田舎の風景が残っていた横浜から銀座を眺めるとまだまだ敷居が高く、幼いころ両親に連れられて日劇のショーを観に行って、その絢爛たる舞台にまばたきを忘れるほど驚いた覚えがあったくらいでした。銀座に敷居を感じなくなったのは美大に入っていた時代で、画廊が集まる街を頻繁に闊歩していました。師匠が個展をやる時に銀座8丁目にあるギャラリーせいほうで展示の手伝いをしました。私がその銀座のギャラリーで個展を企画してもらえるようになったのは2006年で、その年から20年間、20回の個展をやらせていただきました。個展の最初の頃、私はまだ教職に就いていて教務主任という立場でした。そのうち管理職になったわけですが、個展開催中は年休を取得して会場におりました。私が通い続けた銀座は、それでも20年間で建物の建て替えや新たな店舗が出来ました。銀座通りにあった赤煉瓦の「天國」の移転や複合商業施設「銀座シックス」などが目立っていましたが、それでも古き良き銀座の佇まいを感じていました。最近は外国人観光客の多さがニュースになり、新橋寄りの銀座通りには大型観光バスが何台も横付けしていました。銀座は新陳代謝を繰り返し、変わることで変わらない街であり続けるだろうと私は思います。テレビ番組で触発されて、私は20年間通い続けた最先端の街を思い返してしまいました。